著者インタビュー




プラネタリウム上映番組『銀河鉄道の夜』が大人気で100万人の動員を突破したり、今年(2012年)の夏には、『グスコーブドリの伝記』がアニメ映画として上映され人気を博すなど、作家の中でも屈指の人気を誇る宮沢賢治。亡くなってから80年近く経つ今でも、人気は衰えるどころから、さらにファンが拡大しているといえます。
また、『風の又三郎』、『注文の多い料理店』、『セロ弾きのゴーシュ』といった絵本は、誰もが子供の頃に一度は読んだことがあるであろう、絵本の大定番ですし、本の世界から外へ目を向けても、宮崎駿や松本零士など、歴史に残るクリエイターたちにも多大な影響を与えています。
















そう考えてみると、賢治の作品はもちろんのこと、そのフォロワー達の作品を通して、知らず知らずのうちに人生の色々な場面で私たち日本人の中へ入り込んでくる作家、それが宮沢賢治なのです。
しかし一体なぜ、賢治はこんなに時代を超えて愛されるのでしょうか。
そんな賢治ワールドの魅力を、本コースの著者、日本大学芸術学部文芸学科准教授の山下聖美さんに語ってもらいました。
沢賢治の魅力を人と作品の二つの面から教えてください。
宮沢賢治の魅力、それは感性の豊かさと、壮大な想像力だと思います。賢治の最高傑作『銀河鉄道の夜』を読むとわかると思いますが、闇の中に展開される、めくるめく色彩や匂いや音楽の世界は、強烈です。賢治の描いたこの世界を、多くのアーティストたちが最先端の技術を用いて表現しようとしますが、やはりどれも文字で書かれた作品を越えることができていません。科学技術が、賢治の想像力に未だ追いつかないのです。
そもそも、宇宙に汽車を走らせてしまうという発想もすごいですよね。夜空を見て、ただの点に過ぎない星々から星座の物語を考えたギリシア人の想像力も強烈ですが、賢治はそうした太古の昔、人間にそなわっていた、脳内に大きなビジョンを描く力、というものを多分に持ち合わせていた作家であったと思います。
賢治の想像力は作品の中だけではなく、自らの人生そのものにも生かされます。彼は想像の中で、草木にもエロティシズムを感じることができました。人間の女性よりも自然の中に、いい女がいるとのことです。ちなみに彼は生涯独身でありました。


多くいる作家の中で、宮沢賢治は特別なポジションにいるように感じます。それはなぜでしょうか。
一言で言うと、賢治は天才であるからだと思います。秀才や、文章のうまい作家はたくさんいます。彼らのほとんどは、いい大学を出て、東京で文壇生活を送り、人間関係や派閥によって〇〇派というように、「分類」されていきます。しかし、宮沢賢治は文学史の中において、「分類」することが非常に難しい。彼を、小さな村社会のような、日本近代文学史の枠におさめ、既成のカテゴリーに組み込むことは、とうていできないような気がします。
賢治は時代という枠組みからも逸脱していました。彼は、三十七年の生涯において、作家としてはほとんど評価されていません。稼いだ原稿料もほんのわずか。こんなエピソードがあります。当時の児童文学と言えば、鈴木三重吉が主催していた『赤い鳥』が有名ですが、賢治はここに原稿をもっていきました。しかし突き返されてしまいます。鈴木三重吉は「こんな原稿、ロシアにでももっていけば?」と言ったそうですが、これはもちろんほめ言葉でもなんでもなく、ただ単に、賢治の童話が自らの文学的常識を越えるもので、理解できなかった、ということです。賢治の童話は、当時のいわゆる「児童文学」の枠にあてはめることができない〈不思議な何か〉であったのでしょう。
 しかし、今や、賢治の童話を読んだことのない子供はいない、と言っても過言ではありません。天才を見抜けなかった三重吉は、あの世でとても後悔しているのではないでしょうか? ちなみに賢治は、近所の人などからは、奇人変人と見られていたようですが、やはりそれらは紙一重であるのでしょう。


下さんが賢治にハマったきっかけはなんですか?
実はよくわからないのです。気が付いたらハマッていた、という感じです。勢い、でしょうか。私の指導教授(文芸批評家の清水正氏)は、ものすごく厳しい先生で、鬼のように宮沢賢治の課題を出すんです。まさに一〇〇本ノックの世界でした。それをこなしていくうちに、気が付けば、宮沢賢治についての修士論文、博士論文と書き上げていました。当時の私は、勢いだけはあったと自認しています。感覚的に言うと、体内に「風」が流れていたというか。あえて言えば、賢治作品の中に流れる「風」に呼応できた瞬間が「ハマッた」時であったのかな、と思います。
賢治の作品には「風」が流れています。賢治を敬愛している宮崎駿の作品にも、物語のはじまりに「風」が吹きます。「風」こそは命の「息吹」であり、そこからすべてがはじまる。物事をスタートするときに「風」を感じることができなければ、うまくいかないのではないかと思います。例えば童話「風の又三郎」は「どっどどどどうど・・・・」という「風」のうなりから物語がはじまります。賢治の中に荒れ狂う「どっどどどどうど・・・」の「風」があり、その〈勢い〉が、賢治に童話を書かせているのです。宮崎駿はその〈勢い〉にアニメを作らされた。そしてある人はその〈勢い〉に絵を描かされ、ある人はその〈勢い〉に音楽をつくらされた。そして私は賢治研究をやらされた、という感じでしょうか。〈勢い〉って、不思議ですね。


ぜ賢治は時代を超えても愛され続けているのでしょうか。
時代を超えても、人間が存在する限り、基本的なことは変わりません。これは、国を超えても同じです。賢治は、時代や国に関係なく人間の根底を貫く思いを、作品に表現しています。
愛するものを失った深い哀しみ、病気の苦しみと死が近づく恐怖、他人に対しての嫉妬、なぜ人間はこんなつらい世の中を生きていかねばならないのかという問い、悪を犯したいという欲望・・・ 重要なのは、これらの思いや問いや欲望には、いくら時代が進もうとも、解決策や答えが出ない、ということです。しかし、宮沢賢治は、答えを見つけるべく、真剣に考えました。
とくに、愛する妹が、わずか二十四才で亡くなった際には、ノイローゼにならんばかりに考えたのです。どうすれば死んでしまった彼女と交信することができるのか、どこに行けば再び会うことができるのか。賢治は本気でした。彼は理系の学校に進学していましたから、その知識を駆使し、考え抜きました。さらには熱心な法華経の信者でありましたから、宗教的な解決方法も模索しました。しかし、いずれの方法によっても、満足する答えを見いだすことはできませんでした。
解決策と答えが出ない苦しみと哀しみ、賢治はこれらをつねに胸に抱えながら、それでも答えを求め、作品を書き続けました。死の間際、生涯において書きためてきた作品を「迷いのあと」と言った賢治ですが、文学とはまさにこの言葉に尽きると思います。答えの出ない問いに対して、本気で悩み、本気で立ち向かう。この本気の姿勢が、時代を超えて、多くの人の心を動かしてきたのであると思います。


回はビジネスマン向けの宮沢賢治をテーマとした通信教育という、ちょっと異色のコースのテキストを執筆いただきますが、ビジネスマン向けということでどんなことを伝えたいと思いますか。
意外かもしれませんが、実は賢治はビジネスに関心があったようなのです。賢治の実家が、花巻では有名な商家でしたから、ビジネスというものをいつも身近に感じていたのかもしれません。ただ、賢治にとってのビジネスとは、お金を稼ぐというよりも、「新しい世界をつくる」という目的のもとにありました。だから、実家の商売を継ぐことを拒否し、新たに、石を売る商売をしたいという希望をもったこともありました。石のビジネスそれは現在ではパワーストーン販売のようなもので、ある意味で先見性があったと言えます。残念ながらこれは実現しませんでしたが、その後、彼は、「羅須地人協会」という農業と芸術を合体させたカルチャーセンターのような組織をつくったこともありました。さらに晩年は、「東北採石工場」という会社のセールスマンとなり、肥料を売り歩く仕事についています。この仕事もお金のためというよりも、凶作に苦しんでいた東北の農業の改善を目指してのものでありました。
「新しい世界をつくる」という思いは、苦しみや哀しみに満ちたこの世の中を作り直したい、という考えにもとづくものであったのでしょう。賢治は作品世界に「イーハトーヴォ」という新しい理想の世界を創造していますが、これは、賢治の同時代人である、ウォルト・ディズニーが作り上げた理想世界「ディズニーランド」と共通点があるのではないかと思っています。
ビジネスマンの方には、ぜひ、「新しい世界をつくる」というビジョンを抱き、本気で作品を描いた賢治の生き方に触れてほしいです。「よだかの星」など、まずは読んでみてはいかがでしょうか。自らの理想と現実に生きることの苦悩、この狭間で悩んでいる方は、是非。


沢賢治の初心者にオススメの作品をいくつか挙げてください。
宮沢賢治の作品を子供の頃にまったく読んだことのない日本人はいないと思います。教科書などにも載っていますし、「雨ニモマケズ」というフレーズも有名ですね。
 あえて今、宮沢賢治を読むならば、子供の頃の賢治に対するイメージ、例えばファンタスティックであったり、「偉い人」としてのイメージを壊すような、生々しい人間の姿がかいまみえるような作品をおすすめしたいです。
まずは「毒もみの好きな所長さん」。人間は、悪いことがしたくてしたくてたまらない存在である、これは仕方がないことです。人間のこういう側面を無視せずに、さわやかなくらいに堂々と描いている作品です。
「猫の事務所」もいかがでしょうか。会社内のいじめが描かれており、切実な感じを受けます。また、「土神と狐」は、嫉妬にのたうちまわる姿と、結末の恐ろしさが印象的な話です。 
悪、いじめ、嫉妬。考えてみれば、これらものは、大人であっても子供であってもまったく関係なく存在する要素です。賢治は、きれいごとや、道徳感に縛られずに、人間の闇の部分を多く描いています。彼にとって、子供向けとか、大人向けとか、そのような思考は介在していません。世代ごとの価値観や消費が分離する傾向のある現代において、子供から大人まで、世代間が共有して読むことができる作品は、大変珍しいものであると思います。奇跡的とすら言えるのではないでしょうか。
著者プロフィール

山下聖美(やました きよみ)

1972年生。文芸研究家。
日本大学芸術学部文芸学科准教授。
著書に『女脳文学特講 芙美子、翠、晶子、らいてう、野枝、弥生子、みすず』(三省堂)、『新書で入門 宮沢賢治のちから』(新潮新書)、『宮沢賢治「呪い」の構造』(三修社)、『検証・宮沢賢治論』(D文学研究会)、『宮沢賢治を読む』(D文学研究会)などがある。
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