著者インタビュー
この日本の厳しい環境において、私たち人事側としては、これから企業や自治体でコアとなり、現状を打破していける人材を選び、登用していかなければなりません。
昨今、多くの企業や自治体が、管理者登用のための昇進昇格試験に小論文を取り入れています。小論文で問う内容や評価基準は企業・自治体によって様々です。
試験を実施する側としては、小論文試験で何を見、どう評価に生かしていくべきでしょうか?
作文表現教育の第一人者であり、これまで400を超す企業や自治体の採点評価に関わっている、国語作文教育研究所所長宮川俊彦さんに現状の小論文試験の現状や課題について話をうかがいました。
国語作文教育研究所所長
宮川俊彦さん
見か けだけの綺麗ごとを並べ立てた論文が増えている
――これまで、数多くの企業や自治体の論文を見てこられていますが、宮川さんが昇格試験の採点をされていて昨今感じられることは、どういうことですか?

若い諸君から熟年まで、幹部も含めてですが、おざなりの形式論や既定指針の踏襲、当該言辞や論拠への依存が濃厚になっていますね。また学生の頃の論文形式を持ち出し、経済紙や理論などを反復引用するとか、見かけの「らしさ」に向かっていると思います。
企業のほうも、社長の指針とか無条件に当年度計画などを論旨の主にして、その必達に向けて精神論を書いて、無難な障壁を課題として述べてあればよしとしていますね。
何のために何をどうしたいかという明確な計画が曖昧なままに試験をしているように思えます。暗黙の了解で基準や標準ができていて、それを書けばいいとか逸脱はまずいとか、なんとなくその社風や人の意識によって形が決まっているようです。悪くはないのです。厳密に言えばその社独自の言語風土やいわゆる国語政策があっていいと思っています。制度や規範の本質は言語です。その意味では固有性があるなら良いことです。
しかしそんな感覚はなくて、みんなが理解して表現している国語であればよいと言うだけなら、現在のいわゆる言語能力や表現能力低下に一層影響を受け、コミュニケーション不全という本質的な問題は何ら解決されません。俗に言う「分かり易さ」は大切ではあるものの、きりがなくなります。結果、全体の教養低下を招きます。真っ当な人材育成はできないと考えます。よその企業と同じというだけで満足する水準になります。企業そのものが本来、固有性・独自性があって世に存在しているのです。独自の企業内言語政策という統治の原理がないと、論文試験は、ただの一般教養的なイベントと自己満足になります。それでも意義はありますが機会損失というものでしょう。

上辺だけの綺麗事論文、全員一致・一丸・協調・絆論文、空中楼閣理念論文、謳い上げ打ち上げ花火論文、・・・。そこにすら到達しない多くの平均以下の小学生程度のまとまりのない散漫の文も多い。現実の表現状況はますます低下し貧困になって来ています。
ここには各現場を担う自覚や責務に加え、現状分析や積極的な問題抽出と方法を吟味していくための根幹がますます損なわれている感があります。問題意識があっても深度が不足している。思索していく視野もそれに対応している。特にこの20年間で、安閑としたマニュアル依存が激増しているようです。



論文 を書かせればいいというものではない
――上辺だけではない試験と建前の試験を行っている企業では、どんな違いがありますか?

今、上辺だけではない論文試験をしているところは、単なる技術伝承というだけではない企業の維持発展のために、広範な企業内の知や技や信の蓄積をしつつ、撹拌され、咀嚼され、言語的な作用反作用をもたらしつつ、人材を根底から育成強化していける可能性を秘めています。
本気になってやっていこうとしているところは、学校などの教育機関での言語機能、メディアの言語機能とは一線を画した現場的で実務的な言語機能をちゃんと持っています。あるいは持とうとしています。グローバル化は、それを必然にしています。

かなり進化した実務論文を、現場レポートを越えて年々作り出していくところもあれば、相変わらずの教養試験、内部統制的判断材料としてのみのところとこれも明瞭な分岐が見えます。みんなやっているからやればいいというものではないと思いますよ。



評価 者として敬虔でありたい
――宮川さんが、評価者として気をつけていらっしゃることはどういうことですか?

自分の理解の範囲を常に壊し続けることでしょうね。分かったという結論が一番怖い。危険だし傲慢だと思います。その理解は、そういう面もあるというに過ぎない。人は変わるし自分の理解範囲も基準も変容します。そこを、忘れてはならないと思います。垣間見たものであっても、しかしそれは評価として社会化するんです。時として人の人生も左右する。ですから、敬虔であることが大事だと思っています。
ただ、忘れてはならないことは、評価の期限もあるし、限定もあるし、組織の方針もあるということですね。



人事 は、核であり、参謀であってほしい
――宮川さんが、人事担当者へ期待することはどういうことですか?

日本の企業の活性化や再生の現場的なカギは人の意識動向、才や力量を知って効果的に機能させることだろうと思います。そういう意味で人事は核でしょうね。中枢中の中枢。ただ、頭でっかちやクイズパズルの偏差値優等生は困ります。事を誤ります。良参謀たることですね。
人を配置し計画する。熟練は熟練の味を活かし、大言壮語の人もそれなりに活かせる。緻密な人も緻密な人なりの活かし方があります。
学校のいじめ問題と共通して考えることがあるんです。要は、学校という社会の中で自分はどういうポジションなのか、本来の役回りや社会関係的才覚かが分からないまま、大人になってしまっている人がいます。
学校では、班だとか仲良くだとか平等とかで突出しようとする才をつぶして標準化してしまうのです。強いか弱いか出来るか出来ないか・・・、そんな低次の一面的価値観の分かり易さで再編されていく傾向にあります。
この延長が社会とか企業ならこんなつまらないものはないと思います。会社は機能集団であることが一義。社会であるとして秩序維持を一義にしたら、目的がぼやけます。その辺りに大きな誤謬と錯覚がありそうです。大きな組織になって安定はそこそこあるとしても凡庸な吏では困ります。人を洞察し戦略的に配することが重要です。人事に徹したら経営陣も当然その対象になるでしょう。
もっとも深部で人と状況を読解する者が、打開と設計の方途を握ります。人事担当者は、怜悧な思索者になることだと思います。もっとも人を読解する前に自分を、ということはありますがね。
著者プロフィール
宮川 俊彦 (みやがわ としひこ)
作家、表現教育者・国語作文教育研究所所長。作文表現教育の第一人者。36年におよび青少年の作文・表現教育活動を実践し、指導対象は200万人を越える。表層指導ではなく内面に分け入り、また思考法や視点観点・読解などの表現関連の基礎領域の活性化に着目し、人間の存在から表現に到るプロセスを教育対象としたことで、学校教育の枠を越え、人間そのものの分析・育成に向かう総合化の最前線に位置している。更には400を超す大手企業自治体の構成員の論作文などの分析に赴き人材不況・教育不在の今日、人事政策支援など言語政策・国語政策を軸に積極的な教育顧問活動を推進している。
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