上海では日本で人材派遣を営む日系企業を訪問した。そこで聞いた話によると、中国では基本的に1年更新の雇用契約になっていて、長期雇用はないということだった。この点につき、中国における人材マネジメントを調査しているワークス研究所の荻野進介氏は、「短期雇用が中心だが、経営者あるいは管理職で2−3年という雇用契約もある」と指摘している(ワークス59号)。もともと中国では長期雇用もあったようだが、労働法が変わって激変したようだ。

中国では人材派遣はなく、日本の人材系企業は紹介事業を営んでいる。就業機会、転職機会の多い中国では紹介会社の役割は日本よりもはるかに多いようだ。日系の派遣会社の大手も多く上海に進出している。そこで聞いた話では、採用面接の質問にタブーはなく、両親の仕事や出身階層が実質的に重要な情報になるという。今の中国は日本よりはるかに階級社会なのかもしれない。実際、富裕層は恐ろしくリッチだし、日本よりはるかに物価が安いとはいえ、主なものは3分の1か4分の1のように思われる。しかし、500元(7500円)の月収で仕事する人の層も厚いようだ。購買力平価で言えば、日本において月給8万円ほどで暮らすようなものだろう。会社の給与で安泰な暮らしは必ずしも送れないと思われる。パート・アルバイトの給与では日本でも独立した生計は営めないだろう。

日本ではもともと長期雇用を保証するという明文化された規約もないのに、企業が中高年をリストラし出したことで、従業員のメンタリティが著しく損なわれるという事態が起こっている。またリストラをすることは企業の経営上の責任放棄であってけしからんなどという議論が長らくはびこっていた。従業員の側も手の平を返したような企業の冷たい姿勢に恨み節をぶつけることが少なくない。

日本企業では社内ローテーションを人材育成のためのポジティブな仕組みとして運用してきたが、それ以上に余剰人員や配属先に困る従業員に驚くほど寛容な態度を取ってきた。営業部門で使いようがなくなってくると、企業は間接部門にそういう筋金入りの余剰人員を仮配属してきた。どんな仕事をやらせてもミスばかりのおじさんを信じられない高給で処遇し、くだんのおじさんは文句ばっかり、定時に退けて赤提灯で愚痴をたれている。

私がコンサルタントとして関わっていた、ある関西系企業の話だ。訪問すると、外注費であるコンサルティング料について身を乗り出して真剣に値切ってくる。いつものことなので最初から3割程度乗せて見積もりを出す。しかし、その値切りは乾いた雑巾も絞りつくす勢いだ。ふと目をやると、そのすぐ後ろにある部門の島には担当もはっきりせず、昼下がりの午後3時になると、事務所中に聞こえる音でラジオ体操の音楽を鳴らす係のおじさんがいる。聞いてみると、担当が特にないので、あれこれ雑用をしているという。そのおじさんの給与は大台に乗っていて私の目の前にいる担当者の2倍近い年収だ。そしてこちらがその会社から頂くコンサルティング料の10倍以上の退職金をもらうことになっているという。ところが、くだんのおじさん社員はあと2年ほどで定年なので仕事をする気力もまるでないのだそうだ。コピーを頼んでもポカばかり、関西でいう「スカタン」なので、もはや誰も何も頼まないという。

ところが、後日談があって、その会社の部署を1年半ぶりに訪問したら、業績不振でリストラの嵐が吹き荒れ、その部のメンバーは一新していた。値切りだけは真剣だった担当者はどこか他部署に配転され、課長は左遷、若手の担当者は二人とも転職し、例のおじさんもどこかに消えてしまっていた。聞くと、おじさんは自己都合で退職し予定した退職金よりもかなり少なめの退職金を手にし、失意のうちに会社を去っていったという。軽快なラジオ体操の音楽を鳴らし、第1体操のみならず、第2体操までを元気にやっていたオジドル(オジサン的なアイドル)がいなくなった事実に少し寂しさを感じた。急激な業績悪化で予定した上場も延期、もはやコンサルティングどころではないという。そんなことより、あの辺りでおじさんが笑顔で飛び跳ねていたなとぼんやりと眼差しを向け、生返事をして私は後任に名刺だけ渡して失礼した。もう長いこと、その会社には足を運んでいない。

日本人は今、この世の終わりに直面したような険しい表情で毎日の通勤電車に乗っている。しかし、こんな共産主義的社会が、人類の歴史の中でかつて一度でもあったのだろうか。海外事情に詳しい友人でコンサルタントをしている上田勝弥氏は、「天国に一番近いのはやはり日本でしょうね」という。

中国では日本語や英語を勉強する人も増えている。しかし、中国人がとりわけ語学に強いわけではない。街では時制もないインチキな英語を平気でしゃべっているし、空港などでも単語を発する程度の英語だ。「日本語できます」と電話口でいう女性が「間違い電話ありますか」(もしかして間違い電話ではないですかの意味)、脈絡もなく「そうですね」を連発する。

また上海でみかけた光景だが、就業時間でも店員は平気で話し込んでいるし、真剣に仕事していると言えば、スーパーで数人の万引きチェックの店員が猜疑心に満ちた視線で真剣に監視している風景だった。万引き対策はかなり厳しくて毎日行った書店でどでかい銃を肩から提げた警官二人組に連行される人を見かけたこともあった。噂では裁判も簡便でスピーディ、窃盗などでも極刑があるそうだ。しかも、判決後、即座に執行されるという話を数年前、アムネスティのレポートで読んだことがある。しかし、今はどうなっているか、定かではない。

実はいくつかの大学の講師をしていて、そのひとつである日本大学大学院では半分が中国からの留学生である。中国からの留学生は英語も読めるし、話せる。それになかなか熱心だ。おまけにおどろかされるのは、企業を紹介してくれたら取引の仲介手数料を払うという話を持ちかけてくる学生もいることだ。留学生に限らず学生は金回りがよくないというのが定番とこちらも思い込んでいるが、30歳そこそこの女性の留学生は購買担当者のリベートを仲介して日本でゴージャスな暮らしをしているということだった。何でもプラントでも機械でも、総額の5%程度は動くものらしく、その一部を現金で受け取っているそうだ。購買担当者はもっとリベートの率の高い取引先を探しているということだった。

上海は見る限り、東京以上の都会であり、金さえ出せばはるかにほしいものが手に入るところだ。資本主義の獰猛さをひしひしと感じさせる。しかし、組織に寄りかからないたくましい生き方は、組織埋没的で依存的な生き方に慣れっこになった日本人によき示唆を与えてくれよう。

せめて日本人も、力をつけるための何かを勉強するなり、アルバイトをするなり、金のかからない趣味でもやってみるなりすればどうか。愚痴ばかりこぼし、いつまでもぐだぐだやっているなんて何の意味もないことだと思わないのか。


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