大学改革
組織人事系コンサルタントとして独立して10年ほどになる。この場合、独立とは、フリーランスという意味で、その間も雇用関係などの関係はあったが、基本的に私一人の力量だけでやってきたのはそのくらいの年数になると思う。
また「人事コンサルタント」というのは一般的なものとして使ってきたが、「組織人事コンサルタント」という名称はまだなくて、2001年頃に、雑誌社を紹介してくれたその後の指導教授(南隆男氏)がつけてくれたものである。その頃、組織調査をやったり、人事コンサルティングの領域にないサービスを始めつつあったので、それもいいかなと思った。
ところで、独立して軌道に乗りつつあった頃、私の書いた本(『コンピテンシー活用便覧』−アーバンプロデュース)を読んだ大学の先生がもっと専門的に勉強してみないか、産業・組織心理学という分野もあるし、本格的にやってみないかという話をする機会があった。それが私の進学に至ったきっかけになった。それまで住まいは関西で、関西では準大手以上のクライアントを抱えてコンサルティングの技量も磨きつつあったが、専門知識は大事なことだし、欧米では人事コンサルタント(≒産業・組織心理学者)は、博士号を持っているのが一般的であるし、取りあえず修士号は取ろうと考えた。
そういう事情もあって、関西にある国立大学の経営系の大学院を受けたが、十分な準備もしなかったのと、縁がなかったので、その大学には不合格になった。私のクライアントにも数人、卒業生がいて、どうしてでしょうねって逆に質問されて困ったが、それによって進学は1年延期された。英語には自信があったが、研究計画書などに無理があったのかもしれない。
それから、母校の商学研究科で社会人向けの入試が始まった。結果的には私はその一期生になったのだが、次のような要件を満たせば、学科試験はなくて面接のみということだった。すなわち、公認会計士、弁護士、税理士、国家公務員上級職、シンクタンク勤務歴3年以上で研究著書のある者。私の場合、資格はないので、シンクタンク勤務と研究著書で条件をクリアした。しかし、応募書類には文献名のみを記載し、そのものは送らなかった。というのも、私の著書は定価で6万ほどして返却してもらえないところに送るわけにもいかなかったからである。
電話には滅多に出ないほうである。理由は、ほとんどがセールスの電話で、特に大阪のセールスはしつこいからで、仕事の邪魔になるからである。そんな私がたまたま電話に出ると、慶應大学からだった。用件は、社会人入試に応募されたが、著書の内容が全くないが、どうしますか、ということだった。話し合った上で、私は本の大半をコピーして製本し、郵送することに決めた。その後、しばらくして面接の通知が来た。
この電話に出る、出ないは大きな運命の岐路になった。というのも、私の生活は仕事の都合もあり、半分近くが東京になっていたからである。最初はホテルに泊まっていたが、不自由を感じて小さなマンションを借りてそこに寝泊りしていた。中野坂上に住んでいた。
面接では、その後指導教授になって頂いた清家篤氏(高齢化社会の研究で有名)、労働経済学、計量分析の分野で日本をリードする樋口美雄氏、イギリス投資銀行やホワイトカラー労働で有名な八代充史氏の三人だった。いろいろと質問されたが、コンサルタントとしての仕事の内容などにも質問された。「日本の人事担当は専門性が低くて、米国型とかそういうものが流行りになると、すぐに横並び意識からコンサルタントと称する人にすがりつくんですよ」などと答えたことを覚えている。指導教授をどうするか尋ねられたが、八代先生は当時、助教授だったので、指導教授できなかった。計量経済にはあまり興味がない。私は清家先生の指導を受けたいと申し出た。
それから、私は南先生と新潟県の越後湯沢方面の温泉に出かけた。この時は結構、学問的な話をすることができた。私がこの時というのには訳があり、南先生には持論があり、人間を知るには歌舞伎や演劇、あるいは映画を観ないとダメだというものがある。そのため、学部の授業はかなりこのために時間を割かれている。しかし、そういう時間をご一緒するのは私も苦手で、演劇や映画に行くなら一人で行きたいし、映画で感動したとかそういうことは個人的なことなので、あまり人と共有化したいと思わない。私も映画を観て感動することもあるし、涙することもあるが、必ず一人で行くことにしている。その時の私の心境は、今回大学院に落ちたら、もう進学のことは忘れてコンサルタント業の方に専念しようということだった。
2泊して朝になった。私はノートパソコンを持っていて、そこでメールチェックすることができた。通信速度は速くないが、メールを見る程度なら十分である。2泊した朝が、慶應商学修士の合格発表の日だった。朝の10時くらいだっただろうか。私はその日、新幹線で東京に戻り、その午後にでも合格発表に行こうと思った。しかし、ネット上に合格発表がなされ、PDF形式なのでゆっくりとしたペースでページが開き、私の受験番号が表示された。
後で知ったが、この時の合格者は、弁護士一人、公認会計士一人、税理士二人、国家公務員二人、その他二人だった。私はその他になるが、もう一人の方は年配の方で、マーケティングの分野で何冊も本を書かれている方だった。修士論文も本としてすぐに出版されていた。
南先生に、東京に出てくるなら、日大(MBAコース)の講師をやらないか、という話が出てきた。日本大学にはグローバルビジネス研究科があり、設立当初から南先生がリーダーシップ論や組織行動論で講師をしていた。しかし、3年目になっており、これ以上、本務校以外の大学で教えるのは負担が大きいし、避けたいということだった。私は快諾して、窓口になっておられた石井修二先生のところに行き、挨拶をし、講師に関する必要書類を受け取りに行った。修士在学のことは伏せて下さいということだった。確かに、修士の学生が修士課程で教えるのはつじつまが合わない、私は、わかりましたと答えて、書類を揃えて、提出した。
慶應の修士の在学中、立教と國學院の講師もした。立教の時も修士在学は伏せて、個人コンサルタントと名乗ってほしいと頼まれた。遅くに進学すると、そういう気遣いが必要になってくる。もし進学を希望されるなら、早めに修士課程だけは終えた方がよいと思う。
私は、慶應商学修士に入ったが、1年目はビジネス書の依頼が多くて目が回りそうだった。1年半で4冊書いたと思う。またプレジデントなどのビジネス雑誌に毎月のように記事を書いていた。まさしく日々追われるという状況にあった。
コンサルティングでは、コンピテンシーがブームになり、その一部の需要があり、仕事になった。おそらくコンピテンシーに関しては、学界を問わず、業界を問わず、その経緯、理論、手法、周辺事項などについて私が多分一番詳しいと思う。いろいろな人にそういう指摘、評価をもらっている。しかし、私がコンピテンシーで儲けたお金は大した額ではない。
修士2年目には収入は減っていったし、修士論文の作成に向けて学業が急に忙しくなった。私は、実務的にも経験の多い人事評価をテーマに選んだが、経済学をディシプリン(方法論)として書いてほしいという指導教授の注文に頭を悩ませていた。私には明確な方法論などなくて、そういう意味では我流だった。調査事例を盛り込むことにしたが、その場合はいわゆる心理統計を使う。その意味で、心理学が方法になってくる。それはいけないということだった。人事経済学の本も読んだし、参考文献には入れたが、分析手法としてはあまり自分にフィットしない感じがした。それでも、何とか書き上げることに成功した。実は私は半ば諦めていたのだが、上海に長期滞在し、論文を書き上げた。
私の修士論文に関しては、方法論がはっきりしないということで、清家先生は書き直してほしいという口ぶりだった。これに対して、非常勤講師で来られていた菊野一雄氏(当時の日本労務学会代表理事)は、このまま肉付けすれば大丈夫ではないかということで書き上げる気持ちになった。当初、菊野先生の授業で、業績評価で生産性を上げるという切り口で、議論することにしたが、この生産性に菊野先生が噛み付いてきた。あくまでも否定的で、私はそのアプローチで書くことをやめた。私の修士2年目の前期はこのようにテーマ設定しても指導教授やその他の先生に拒否され、やり直しになるという苦境の中で過ごした。根本的にディシプリンが異なるところではやっていけそうにないと判断し、博士課程から社会学研究科の社会心理学系に進んだ。
同じように人事管理を分析対象にしている場合でも、心理学をディシプリンとする場合、特に組織行動論とか産業・組織心理学という。私は博士課程に進んでから、SPSSという統計ソフトを自分で動かして因子分析をしたり、多変量解析をして論文を書くという試練を経験した。それまでも、できなくはなかったが、随分アバウトなもので、コンサルティングをやっていた。しかし、丁寧に心理統計学を勉強するという作業を行なうことが必須で、その意味では勉強になった。ただし、その勉強は全部独学だった。どういう状態になっていなければならないというイメージだけがあっただけだったが、それなりに何とかなるものだった。
人事心理学(Personnel Psychology)という領域は米国ではメジャーな学問領域である。しかし、日本でこの分野の専門家というのは、高橋潔氏(神戸大学)のほか、ほとんどいないと思う。その領域で活躍されているといえば、そのほかに、古川久敬(ひさたか)氏(九州大学)がいる程度ではないだろうか。数的にも非常に少ない。
これに対して、組織行動論という言葉が日本でお馴染みになっているほど領域は組織分野に傾斜しており、組織心理学の分野は研究者も多い。金井壽宏氏(神戸大学)、若林満氏(故人)、田尾雅夫(京都大学)、花田光世(慶應義塾大学)などがその代表的な研究者である。
振り返ってみると、人事管理を研究するのに、経済学、経営学、心理学などの分析手法をマスターしたのは私の場合、40歳になってからのことである。もしこのような勉強する機会がなければ、我流のコンサルティングをずっと続けていただろう。
私がコラムで以前、修士以上の学歴がないと、人事系の場合、コンサルティングをすることは難しいと述べたが、そういう経験もあってのことである。修士課程でも本来、人事系なら産業・組織心理学や組織行動論の専攻が望ましいが、そういう指導を受けられる大学は日本でそうたくさんはないし、各大学とも経営系なので、本格的に人事系を専攻するのは難しい。海外ではイリノイ、ミネソタなどの米国系大学が有名だが、そうした大学のMBAコースは比較的マイナーである。ただ、修士課程できちんと修士論文を書いていれば、文献の探し方、読み方、最低限の英語、統計学などの手法はマスターしているはずなので、それが役立つと指摘しているに過ぎない。
いずれも最低限のことなので、今後は、人事担当者なら修士以上、コンサルタントは博士課程修了ないし博士号取得者になっていくと思う。博士号だが、米国では一般的なことであり、HR系のコンサルタントには最低限の条件になっている。しかし、日本では学位に関する基準が異なり、コンサルタントで博士号取得者なんてほとんど聞いたことがない。その背景はどういうことだろうか。
先ず、学位取得が非常に難しいことである。過程博士(博士課程修了3年以内に取得するもの)は基本的に甘くなっているのだが、それでも年数的に長くかかり、平行して実務経験を積んでいるというわけにはいかない。
また、学界の研究姿勢の特徴が非実務的であり、実務家の経験談を極端に嫌うことである。これには実務家が個人的な経験談を語り過ぎるという問題もあるのだが、学界人は実務経験などないので、そういう話を根拠に問題提議されることをかなり嫌う傾向がある。私自身、ある研究会でコンサルタントの視点から見た人事改革について発表したことがあるが、院生には受けたが、学界の長老にはすこぶる受けが悪い。院生はコンサルタント業界志望も多いので、関心を持つが、学界人、とりわけ60歳以上の教授は嫌な顔をして聞いていて、後で皮肉なコメントをする。
私同様、コンサルタントをしながら、研究を続けているうちに博士課程になった人も他にもいる。しかし、うまく両立している人は私のいる限り、いない。一人は完全な学界人になり、年俸700くらいの私大の助教授になった。もともと銀行系で中堅クラスのコンサルタントだった人で、博士課程修了後にファームを退社し、研究者の道に専念した。一方で、コンサルティング業は足を洗った。もう一人はコンサルタント会社に身を置きながら、博士論文を仕上げ、提出したのだが、却下されてしまった。詳しいことはわからないが、いきなり書いて出せば、通るものでもない。学位は諦めて仕事は続けておられるが、いずれかと言うと、発表はコンサルティング事例の紹介が多い。
コンサルティングと研究がバランスよく行なわれている米国では、ビジネススクールの教員はコンサルタントでもある。企業が信頼されないで、研究に専念というのは評価されないみたいだ。お金を集めるのがうまい人が教授なので、ビジネス=お金儲けを一緒になって考えやすい空間が生じるのだろう。
これに対して、日本のビジネススクールは、既存の経営学部、経済学部が拡張してできたところで、もともと実務やビジネスに疎い人が関わっているのが現状である。組織行動論とかリーダーシップ論、マーケティング論とそれなりに科目名が書かれているが、ビジネススクールらしい学術を積んできた人はほとんどいない。むしろ経済学部の労務管理論とか商学部の商業学がぴったりの人達が何食わぬ顔してやろうとしている。
具体名は避けるが、中堅クラスの大学のMBAコースは設立されて3−5年のところが多いが、もう既に過渡期に入っている。ある大学の商学部のビジネススクールは設立3年目にして、募集停止に踏み切っている。学内に似たようなコースができて食い合いになっている大学もある。独立系大学院であるMBAコースは10年以内に多くが廃校になってしまう可能性が高い。
もしかすると、その懸念は払拭されて、MBAが評価される時代が来るかもしれない。しかし、その場合、既存の経済学部、経営学部などが一部改組され、MBA的な要素のあるコースができ、学部と大学院が連動することになるだろう。というのも、日本の場合、学部もまたがった形でないと、教員の雇用を確保することは難しいからである。特に私学はそういう論理になりやすい。国立でも地方旧帝大の一角を占めるある大学の経済学部の人事労務管理論の講座は従来、2名の枠があったが、1名が従来の枠に割り当てられ、もう1名の枠がビジネススクール対応になった。
ビジネススクールのようなやり方で行くようになるのか、従来の学問形式にこだわり、実務的であることに背を向ける研究方法に留まるのか、どちらに流れていくかは私にもわからない。見ている限り、有名大学は従来型であり、そうでない大学は実践的な内容になってきているように思われる。


株式会社アイ・イーシー東京都千代田区飯田橋4-4-15All Rights Reserved by IEC