海外事情あれこれ
過去5年で、私は米国の各都市、中国、タイ、イタリア、韓国などを取材や遊びで出かけた。大半は雑誌などの取材だったので、私の負担はなかった。また中国に関しては上海への足がかりをつかむために相当通ったが、ビジネスにはまだなっていない。福建省は大学講師をしていた関係で、元の留学生のところに遊びに行って、いろいろな話を聞く。こうして年間1-2ヶ月程度は海外で過ごすという感じだった。それらの話をあれこれと紹介したい。
先ず米国だが、東西の違いを痛感した。西海岸はラフで自由であり、ジョークが好きなのに対して、東海岸は欧州的な風景があるし、英語もポライトで聞き取りやすい。大学教師も篤実な人が多い。米国取材の際にカナダも行ったが、カナダでは米国に批判的で、米国の戦争を反対する声もよく聞かれた。食べ物でも米国はひどいが、カナダはまあまあだった。ただし、この2つの国にあまり国境の意識はなくて、ビジネス上も行き来している人も多いようだ。
私はコラムで米国に対する批判的なコメントも書いているが、米国における学問がわかりやすく、実務的に展開するというあり方は共鳴することができる。人事管理、業績評価など職業上私が無視できない問題も、米国では平易なテキストで解説がたくさんなされている。先行研究を踏まえて研究が積み重ねられ、実務でどうするかもおおむね共通認識が構築されている。その点は学ばなければならない。日本との格差は大きい。日本の人事管理は科学的でないし、創意工夫の積み重ねがない。人事を科学的に行なうというアプローチが樹立されなくてはいけないと思うが、日本の学界にはそういう気運すらない。また日本の人事マンはそういう大学にほとんど期待していない。
次に中国では誤解が多いと思う。私は中国に通算して1年以上滞在しているし、日常会話の中国語も自然と覚えた。友人、知人にも中国人がかなりいる。しかし、足を運んだこともない人が、中国は共産主義なので信頼できないとか時代遅れのことをいう。しかし、中国は共産主義とはほど遠い国だし、米国以上の競争社会である。また敗者に同情のない国である。
本国で生活保護行政を担当しているという留学生を知っているが、貧しい人には食糧を配給するとかぎりぎりのことはなくないが、そういうセーフティネットは日本のほうがはるかに充実している。所得格差も中国は世界一と言われているが、それは間違いないと思う。そもそも税務調査が甘いし、裏金が多いし、この点でも日本はガラス張りである。
知人の留学生が日本と中国の賃金格差について学会発表をしたことがある。その人の問題提議は学歴による賃金格差は本来もっとあるべきだが、中国の学歴別賃金格差は小さいので、インセンティブが乏しいということだった。しかし、私はこのとき、質問に立ち、次のようなコメントをした。中国における公務員の裏金は本来の給与の数倍に及ぶものであり、民間企業でも管理者は会社の経費を自分のために使う場面が多い。公務員の給与は月額で2-3万円が普通だが、そんな彼らが500万ほどのマンションを買い、さらに別宅を持っていることもある。一箱数百円のタバコを一日に2-3箱吸う人も多い。給与と生活実態が合わない場面をしばしば見かける、と。この点につき、立教大の笠原清志氏は、権力の換金という問題で、社会主義の国ではつきものと指摘していた。
中国は表と裏の格差が激しく、日本で言う建前と本音が大きく乖離している。平気で嘘を言う部分があるし、あるいは黙って知らない振りをするという文化がある。何度も足を運んで聴き取りをすると、当初とは全く違う実情が明らかになってくる。ビジネスの場面でもしばしば公私混同の場面を見る。例えば、食事会の場面に自分の家族など呼んだり、相手の友人や知人を囲んで一緒に食事をする。しかも、その経費はいわゆる役所の金である。日本ではありえない話である。
上述した留学生の問題提議は中国事情を知らない発表であり、現状に合わないと思った。というのも、中国の場合、小学校卒の人が依然として最も多く、高校進学率はそんなに高くない。逆に高校に進んだら、大学への進学率は7割以上と高いのである。問題にすべきは小学校卒の賃金水準であるし、大卒の場合なら、およその裏金や役得の収入が差になってくる。
私の知る限り、中国の公務員は表立って現金を受け取ろうとしない。しかし、身内に祝い金を払ったりするのはいいみたいだし、物品など換金しやすいものは平気で受け取る。お土産を指定して買ってきてくれといって、ほしいものを指定してくることもある。おそらく信頼関係ができると、何らかの大技を使って、役得を換金するのだろう。それは何度足を運んでも唯一はっきりとしない点である。
江崎玲於奈が『私の履歴書』で米国IBM研究所のことを紹介しているが、研究者の半分以上が中華系だそうだ。知人も、シリコンバレーで活躍する人の半数、あるいはそれ以上が中華系だと言っていた。中華系といっても、香港、台湾、その他の国の華僑もいるので、全部が中国人ではないが、優秀な人が多いことは誰もが指摘している。
数年前話題になった「分数のできない大学生」という本にもあるが、日本の場合、東大生でも、中学レベルの数学の問題を間違えるそうである。ましてや、数学が入試にない私大の場合、惨憺たる状況と指摘されている。これに対して、中国の有名大学の場合、かなり難しい問題でも全員が満点を取るそうである。そうなるのは、中国の場合、大学入試も厳しく、難関大学は東大入試と同等以上に難しいが、さらに入学後に学力が伸びるので、卒業時点は非常にレベルが高くなっている。
ちなみに、世界的な評価では、中国トップの清華大学は京都大学と互角になっている(世界ランキングはいずれも80位くらい)。東大は40位くらいで、どうにか中国のトップ校よりも優位にある。しかし、中国の場合、20くらいの有名大学があり、日本で言う旧帝大レベルの大学の層が厚い。また大学の評価は大学教員が英語で論文をどれだけ書いているかによるもので、人材育成の部分を含んでいない。中国人の知人は地方の中堅大学でも、東大と差がないと指摘する。逆に言えば、日本、とりわけ東京にいると、入学後も勉強していると感じられるのは東大くらいしかないということなのだろう。
ただ、日本の教育システムの場合、大学に入っても、勉学だけに追われると、人間的幅を涵養する期間がないことになる。韓国では大学入試が厳しく、多分日本よりも厳しい。しかし、大学入学後2年くらいはのんびりするそうだ。しかし、その後2年間の徴兵があるので、そこでシャキッとするみたいだ。それにしても、大学ではほとんど何も勉強しない日本はやはり問題である。
既にある大手企業では、数年前の時点で、技術系の採用は日本人よりも中国人が多いそうで、レベル的にも中国人のほうが上だという。IBMでは日本人の場合、新人のトレーニングに3ヶ月以上かかるのに対して、中国人では2週間で十分であるという。既にIBMは極東の本部を東京から上海に移している。上海に行けば、安く優秀な人材を採用できるからである。
IBMのような動きは今後活発化するだろう。国内消費でも中国は大国であるし、一方の日本は今後、需要増がほとんど見込めない。むしろ減っていく可能性が高い。子供も産まれないし、リストラで残業が増えて飲み会もなかなか始まらない。
日本の企業でも、次第に技術者は優秀な中国人を採用し、事務系だけ日本人ということもあるかもしれない。それどころか、事務系の仕事でも中国人が増えてくるかもしれない。理由はその勤勉さ、語学力、仕事への真剣さ、競争意識などである。ただ、手抜きがあったり、詐欺的な人も少なくはない。諸手を挙げて絶賛するつもりはない。中国人は少し目を離すとごまかすし、基本的にずるい。日本人のようにうぶではない。
日本の大卒初任給は20万であるが、中国人を採用する場合、日系の大手企業が提示している初任給は5万くらいである。単純に言えば、同じ金額で中国人にすると4人雇える計算になる。離職など多少のロスがあっても、この差は大きい。
ただ、中国ブームはビジネス雑誌を見る限り、去ったという見方もある。東京オリンピックになぞらえて、北京オリンピックまでが中国経済のピークとの指摘もある。その指摘は何の根拠もないと思うが、鉄鋼、繊維など多くの産業分野で中国の供給過剰は顕著である。競争力を超えて、中国自身が市況の悪化にあえぐ事態に陥っている。その意味での産業破綻は既に到来しているし、過度な経済成長のひずみが随所に出てきている。
またあまり知られていないが、中国の国有銀行が不良債権を50%程度、あるいはそれ以上持っていることも危険である。上海で不動産バブルがあったが、その際のバブル潰しも強引だったので、破産した人も結構いるそうだ。そうなると、返済が難しくなった例もかなりあったと思う。実は、中国の地方都市や香港、台湾など広く中華圏では今も不動産バブルが存在している。上海から飛び火したのかもしれない。
また中国は米国やEUと貿易摩擦がある。米国は多額の貿易赤字を理由に日本と長年、通商交渉を繰り広げてきたが、最近は中国を問題にしている。しかし、貧困層も多い中国では米国の製品を輸入して買うのは難しいだろう。EUはブランドなどの問題で中国を槍玉に上げている。しかし、イタリアなどのブランド大国が生産を中国でやっている限り、類似品の生産にストップをかけることは難しい。ある中国人は、作れるものを作ってなぜ悪いのか、と逆に商標権や特許権に疑問を呈する意見を述べていたが、一理ある。中国国内ではそういう知的所有権は全く認められていない。どうしてもそういう技術移転を防ぎたければ、生産拠点を中国から本国もしくは第三国に移すか戻すかしかない。
中国に対してインドは内需主導型で経済成長も健全であるという指摘が多い。私はインドの事情を詳しく知らないが、送ったものは届かないとか国内のインフラがひどいという話をよく聞く。その点、中国のインフラはかなり信頼できる。またインドはIT産業では成功しているが、製造業はまだ非常に弱い。優秀な人材が多く、個人作業は可能だが、集団的な作業に従事させるのが難しいのだろう。インドも人口大国であり、年収200万くらいの中堅層が堅調に増えているそうなので、消費は見込めるが、危うさは拭いきれない。
最後にイタリアである。私は2004年に2週間のイタリア取材に同行した。現地の製薬会社、アパレル会社のほか、フェラーリなどの有名企業を訪問する機会を得た。私はにんにくが苦手で、毎日胸焼けで苦しんだが、風景もきれいだし、充実した取材旅行だった。
イタリアでは、仕事のことをOpera(オペラ)というそうだが、仕事が共同作業であり、ハーマナイズすべきとの捉え方がある。イタリア人はナルシスティックで、他人に使われることを好まない。そのため、平均従業員数が3-5名程度の会社が偏在し、それらがネットワークを持ってブランドの生産をしていることもある。経済産業省では、中小企業の振興のモデルを北イタリアにしているそうだ。ただ、中小企業の意識は日本の場合、卑屈で、大企業の傘下にあることをありがたがったりする。ある意味で奴隷根性がある。私が一番よ、という思い上がりやナルシズムは敬遠される。意識の差が大きく、簡単にはモデルにならないと思う。
日本のビジネスマンは海外事情に疎い。せっかく海外に出ても、駐在員社会の中に埋もれてしまう。上海やバンコクでそういう光景をたびたび見た。どこに行くのも日本人どうし、また公私の暮らしを共にしようとする。それはそれで楽しいし、安心なのかもしれない。しかし、学ぶことがないと思う。
よく帰国子女が国際感覚あふれると自負したりしている。しかし、多少語学ができるだけで、駐在員社会に育ったひ弱な人が多い。本人はバランスがよいと自慢げだが、大学を出て日本で暮らし始めると破綻する人が少なくない。駐在員要員としてある程度の会社に就職をするかもしれないが、あまり企業内で出世する人も見たことがない。自分が失敗すると、自分の責任を棚に上げて、日本社会がおかしいと言い出す。不適応系と言われても仕方がない。
その国に行ったら、その国の語学を習得しないといけない。私は、1つの国が気に入ると、同じ国に何度も足を運んで、日常会話を覚える。中国語もそうやって覚えたが、言葉を覚えたら、市内観光も自由にできるし、何かを買うのに値切ることもできる。
ビジネスマンも、ツアーではなく、自由旅行で冒険を楽しむくらいの余裕がほしいものだ。そうすると、自分の中の過剰が見つかって、ブレークスルーできると思う。ただ、ビジネスマンが休みになると、缶ビールでも飲んで寝てばかりというのもわからなくはない。私もサラリーマン時代、そんな感じだったからだ。しかし、どこかでパラダイムシフトできないか、心配になってくる。国際化による懸念やリスクをもっと身近に感じてほしいと思う。


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