成果主義と目標管理
近年の動きに成果主義がある。しかし、成果主義が一体どういうものなのか、統一的な見解があるわけではない。私は学会にも所属しているので、それをテーマにした発表や報告も目にする機会もあるが、少なくとも能力主義とは違うとかその程度の認識しかないようである。
私は人事コンサルタントをやってきていて、その経験から言えば、90年代後半から規制緩和が叫ばれるようになり、市場開放の必要性がグローバル化の流れの中で必要と強調された。それに伴って、雇用重視の従来型人事労務管理、それを一般に日本的雇用慣行と言ったわけだが、それを否定し、どこかに追いやろうとする動きが目立ってきた。そうした動きの中で「米国型」人事労務管理が登場してきたわけだが、それは米国型でも何でもなく、旧来の日本型を根本から否定する動きに他ならなかった。そういう中で、コンピテンシーが出てきたり、目標管理が出てきたりしてきたし、非正規労働の急速な拡大が勃興してきた。
こうした一連の動きがおおむね15年ほど経過した今日、振り返ってみると、次のようなことが言える。先ず経済政策における新自由主義は必ずしも成功しなかった。市場開放はそれを求める米国などの大国の利害から言われていることであり、逆に米国だって貿易における保護主義は随所に採っている。また規制緩和もよいこともあったが、過当競争を生み出し、価格破壊が起こり、空の安全を脅かし、タクシー運転手はより一層低収入になり、賃金デフレを起こした。デフレがデフレを起こすデフレスパイラルが不況を一層深刻化させ、好況を実感できない不思議な経済情勢を創出してしまった。
成果主義は実を言うと、このような新自由主義的な経済政策とパラレルに展開している。その一部をなすものと言ってもよいだろう。成果主義を主導する企業が行なった人事改革は、具体的には次のようなものだったからである。
先ず、人事評価における成果重視である。企業は目標管理を導入したり、既にある目標管理をリニューアルして業績評価を厳格に行なうようになった。表向きは絶対評価の制度としてそれを導入しているが、二次評価が相対評価なので、その分布制限を厳しくしたりしながら、成果目標管理を強力に推進した。
次に、昇格管理が変更された。バブル期に入社した層の自動昇格による人件費増大を回避するために、30歳代の昇格を厳格にし、等級ごとに定員制を入れたり、ヒューマンアセスメントで足切りをしたりするようになった。既に昇格してしまっている中高年層に関しては降格制度を導入し、降格するためのアセスメントや評価制度を導入して運営するようになった。実は私の受託案件のほとんどがこのパターンである。
本題である目標管理は日本で随分曲解されていることを強調しておきたい。発端はドラッカーの『現代の経営』で、ここでは目標による管理(Management by objectives and self-control)と成果に対する評価の重視が主張されている。ドラッカーは日本で人気の高い経営学者、経営コンサルタントだが、ユダヤ系であり、ひどい差別を経験してきた。彼は、同書の中で、結果ではなく人格を評価しようとすることは人権侵害とまで言い切っており、人種や宗教で差別することを退け、あくまでも結果オンリーで評価してほしいと述べている。しかし、結果だけで評価するという考え方は日本人になじまないし、米国であってもトータルな人物によって管理職への登用を行なっている。そこまで思いをめぐらせてMBOを捉えているのだろうか。
ドラッカーの創始した考えは、ダグラス・マグレガーによって継承され、GEなどいくつかの企業で導入が図られたが、その導入は決して多くなかった。米国の人事コンサルタントであるGrote(グローテ)は、The Complete Guide to Performance Appraisal という本の中で、その導入はfewだった。つまり、そう多くなかったと指摘している。それだけではなく、GEでの目標管理導入は、目標設定が難しい、あるいは結果に関するフィードバックがモチベーションを下げてしまうなど当初から問題が多く、失敗に終わったと紹介されている。
日本において目標管理を研究している経営学者はほとんどいないが、その一人である奥野明子氏は、「1980年代になるとMBOに関する研究は非常に少ない」と述べている。具体的には、『目標管理のコンティンジェンシー・アプローチ』に参考文献が列挙されているが、1970年代後半以降は研究事例や文献がぐっと減ってきて、採り上げられる場合も目標設定の仕方という観点で、産業・組織心理学におけるモチベーションの議論でなされるに過ぎない。
先述のGroteによれば、1980年代初頭には、目標設定とその達成率という枠組みでは業績評価がうまく行かないし、そんなことをしても、部下と上司が目標をめぐって空虚な攻防をするだけで無意味だということが次第に認識されるようになり、目標管理を活用した業績評価は営業(sales)などの一部の職種に限られるようになったとされている。その代わりに出てきたのが行動評価であり、現在の米国における業績評価(=人事考課)は職務行動に関する上司の評価がメインだということだ。
また米国の現状を調べるために、独自にSHRM(米国人事管理協会)のサイトを調べてみたが、MBOでのヒット件数は数件しかなく、いずれもセールスマンの目標設定というテーマでのコラムがあるだけだった。一方、日本における実務雑誌の定番である労政時報の過去の記事を調べるサイトを確認すると、人事管理制度に関するトピックスでは圧倒的に目標管理が多く、続いて成果主義やコンピテンシーなどとなっている。
日本における目標管理の歴史はそれなりにある。1970年代にドラッカーやマグレガーが導入したり、それを議論したことが紹介され、シュレイの『結果のわりつけによる管理』という経営者の気持ちをそそる、その琴線に触れそうな本も米国での出版の際も、あまり遅れることなく、日本で翻訳され紹介された。『最新 目標による管理―その考え方進め方』の中では、度重なる目標管理の人間的側面の強調にも関わらず、日本ではノルマ管理による業績の向上という側面だけが強調され、不況(業績不振)になると、企業は目標管理を持ち出す、と指摘している。
日本に目標管理のブームが起こったのは過去に3回ほどあるが、1回目が紹介されて人材開発の一環として取り組むという運動になったものである。2回目が1990年代初頭で、この当時は多くのセミナーが開催され、ブームとなった。どんな職種にも適用でき、人事考課と連動できるということで職能資格制度のバージョンアップに使われていたように思う。3回目は1990年代後半以降のことで、米国型の業績評価ということで、盛んに導入されたり、既にある場合は再構築して導入されるようになった。年功的に流れがちな職能資格制度が廃棄され、職務等級制度がよいとかそんな話もあり、結果を出し、しかもプロセスもある場合のみ評価する、そのトレースのツールが目標管理制度ということになった。
三度(みたび)にわたる目標管理導入のブームがあったわけだが、いずれも失敗したと見てよいだろう。F社の内幕を暴いた元人事マンである城繁幸氏は、結論的には、先ず目標管理をやめることだ、と指摘している。詳しい経緯は同氏の本を参照して頂きたいが、目標管理が経営者を含む上層部の責任転嫁の連鎖を生み、今の報酬を維持するためにはこれだけの成果を出せ、ダメなら報酬を下げるというフィードバックが繰り返され、次第に組織全体の士気が壊滅的に下がっていったと指摘されている。
またコンピテンシーのコラムでも指摘したが、安易に「米国型」とか言いながらも、横並びで人事制度を導入してもあまり成果は得られないと思う。総額人件費をどうするか、人員構成を正規・非正規でどう組み合わせるか、コアの人材はどう育て、どう定着化させるか、そういう基本的な問題を自社なりに考え、HRMに関する計画を立てるべきで、横文字に飛びついてもあまり意味がないと思う。
目標管理はいつも私が導入を勧めないので、変わった人事コンサルタントですね、といわれることも多い。人事コンサルといえば、専門は目標管理と思っている人も多い。しかし、目標管理は業績評価の仕組みとしてもうまく行かない場合が多いし、何よりも現場の負担が大きい。紙に表現するのは労力も時間もかかる。別にそれによって仕事が整理されるわけでもない。また先述の奥野氏は、目標管理を人事考課の仕組みではなく、全般管理システムとして活用すべきと主張しているが、企業はどこも部署によるが、最低でも月に1回程度は課内会議などを行ない、そこで業務の進捗や対応策を話し合って仕事を進めている。別に個人別に目標管理をする必然性はないと思う。むしろそういう業務の進捗が報酬に直結することを考えさせすぎると、セクト主義になったり、仕事を抱え込んだりする弊害が出てきてしまう。人事コンサルタントの役割はあくまでもその企業や組織をよくすることであり、問題解決することで、決まりきった枠組みを押し付けることではない。


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