――今回、地頭力のコースを開講しますが、ここで改めて「地頭力」というものについて伺いたいと思います。細谷さんのお考えになる地頭力とはどのようなものでしょうか?


地頭力とは、「考える力」ですね。考える力とか、問題発見をするための力とも言えるでしょうか。「考える」と言っても色々な意味があるんですが、仕事の場合には「人と違って、自分らしくいいものをつくってみる」「良い意味で、言われた以上のことをやる」というためのものではないかと思います。決められたことを決められたとおりにやるのは大事なことなんですが、それにプラスアルファできることが必要だと思うんです。ITや他のテクノロジーの発達によって、「与えられたことをその通りにやる力」は、人間よりもコンピューターの方がどんどん得意になってきています。そうなると、やはり私達人間には、これからの時代で「考える力」が重要になってくると思います。地頭力とは、そういったものですね。



――テキストでも、「考えない仕事は全てロボットに代わられてしまう」と書かれていますが、それに関してもう少し詳しくお話いただけますか? そもそも「考えない仕事」とはどんなものでしょうか?


「ロボットに代わられてしまう仕事かどうか」を考える際のひとつの軸としては、「ルールが決まっているかいないか」ですね。ルールが決まっていていわゆる「定型」と言えるような仕事は、機械に全部お願いできるものだと考えることができます。むしろ、機械がやった方が正確でバラつきもなく、早く・安く済むという仕事もあるでしょうね。その結果、仕事の種類によって、人間と機械で役割分担をしていくことになります。そうなると、やはり人間は「考える力」を使った仕事をしないといけなくなりますよね。
もうひとつの考える軸としては、「知識が必要か、思考が必要か?」というものがあります。
知識にも色々ありますが、ネットや本などですぐに入手できるような「単純な知識」は、それこそPCの方が人間よりもずっと膨大な量を正確に記憶しておくことができます。そういった単純な知識に関しては、コンピューターに任せた方が良いということになってきますよね。そうなるとやはり我々は、知識だけでなく思考を必要とするものに力を入れないといけないということになるわけです。



――今後、我々は思考をフルに使っていかないといけないということですね。では、その「考えて仕事をする」とはどういったことになるのでしょうか。どうすれば「きちんと考えた」と言えるのでしょうか。




考えることの第一ステップとしては、まず、「自分がいかに考えていないかを認識すること」ですね。
上司などから「きちんと考えてないだろう」という指摘があったなら、そこで「いや考えてます!」と言い張るのではなく、「そうか。確かに。自分は本当は考えてないんじゃないか、足りないんじゃないか」と自覚することから始まります。
まさにソクラテスで言う「無知の知」ですね。
――「無知の知」。深い言葉ですね。実際に自分が無知だと自覚するのは、簡単なようでなかなか難しいようにも感じます。


自分で気付くのは難しいというか、無理ですね。これは自分では気付けないことです。自分で「気付ける」といっている時点で、無知の知を認識してないと言っていることになりますからね(笑)。
ただ、わからないことに面したときというのは、自分の無知を自覚できるひとつのタイミングともいえます。何かわからない、未知のことに遭遇したとき、「相手がおかしい」と思うのか、「自分がおかしい」と思うのか、という話です。そこでその「理解できないもの」に対して、「理解できない自分がまだまだだ」と思えれば、それはひとつの「無知の知」と言えますよね。



――仕事の中でもそういったことはありそうですね。

そうですね。例えば上司から「お客様の話をちゃんと聞いてきたのか?」と聞かれたときに、「ちゃんと聞いたに決まっているだろう。この上司は自分のことを信用していないのか?」と思うのか、「あれ、自分は本当に聞いてきたのだろうか?」と思うのかということです。また、「話をきく」というのにも色々レベルがあって、単にリスニングしてきたというのか、それとも裏の気持ちを汲みながらの話ができたのかによって、大きな違いがあります。結局、考えるということは「目に見えない部分に想像思考を及ぼしてみようとする」ということなのかもしれません。



――「思考」という言葉が出てきましたが、今回のコースでは様々な思考法を学ぶことができます。それぞれの思考法について、簡単に教えていただけますか?


まず、論理思考について。これはもちろん、論理的に考える力のことですが、「自分がいかに自分を中心に考えているか」ということに気付くためのものです。無知の知と同様、いかに自分が論理的でないかを自覚するということが重要です。論理というのは、客観性が大事ですから。それはつまり、「誰が見てもわかること」です。
例えば、コミュニケーションをしていて話が通じないとき、自分の説明がいかに偏っているかを自覚しないといけません。話がとんでしまってじゃっているとか、「誰が見ても」繋がっているように見えていないということですとか。他人が見えている世界と自分が見えている世界が違うんだということを認識することから始まっていきます。
自分の中の偏りをなくすという意味で、論理思考は、他の思考法を学ぶ上での土台となるものです。イメージで言うなら、絵を描く前の真っ白なキャンバスのようなものです。キャンバス自体が汚かったり歪んでいたりしたら、うまく描くことが出来ませんし、相手に見せたい絵にならないかもしれませんよね。そうならないように、偏りをなくしてまっさらな状態にする、ということです。



――次に、「能動的に考える」ということについてはいかがでしょうか。

文字通り、受身にならずに、自分から考えるということです。これは例えば、自分の手元に情報がないときどうするかということです。情報がないとき、情報をもらえるまで待つとか、教えてもらうのを待つとかではなく、先に自分から考えてどんどん動くということを意味しています。



――それは、頭ではわかっていても、なかなか難しいことですよね…。


はい。確かに難しいことですので、思考を切り替える必要があります。そんなときに、「なぜ」という言葉は、考えはじめる際のキーワードとして有効です。「なぜ」と考えていくと、結果的に、求められたり、聞かれたりしたこと以上のことをすることになるのです。世界が広がるんですね。



――それは、仕事の場面ではどのように作用するのでしょうか。


例えば、上司から「ペットボトルの市場について調べて」と言われたとします。どうやって調べるかを考えるのが、「HOW(どうやって)」ですね。言われたことをどのようにやるかを考えるので、概ね正しいことだとは思います。しかしこれは、考えているようで、単に言われた任務を遂行することが目的だったりもしますよね。
一方、なぜそのことを調べる必要があるのかというそもそもの目的を考えるのが、「WHY(なぜ)」になります。これを考えるとなにが起こるのかというと、もしかしたら、本当にやるべきことはペットボトルの市場を調べることではないかもしれないということに思い至るのです。ペットボトル市場ではなく、別の何かを調べたり、または解決したりすることによって、ペットボトル市場を調べてほしいと言った上司が根本的に求めている真の目的や課題解決へと、一気にたどり着ける可能性があります。なぜというのは「聞かれたこと以上のことを考える」といえますので、そういう意味で、世界が広がっていくのです。



――なるほど。今、細谷さんのお話を聞いていて思ったのですが、クリエイティブなことをするには確かにそういったことが必要だと思うのですが、中には「私は別にクリエイティブな仕事してるわけじゃないから」と言う人もいるかと思います。そういった人にはどのようなメッセージを送ればよいでしょうか。


そうですね。「なぜ」と思う・考えるというのは、良くも悪くも「風呂敷を広げる」という意味なんです。風呂敷を広げるというのは、あれもこれもと、言われもしない余計なことを考えるので、残業が増えることにもつながるかもしれません。そういった意味は、したがって、短期的に見るとメリットが感じられないかもしれません。しかし、先ほどの「ペットボトル市場の調査」の仕事の例でもそうですが、「なぜ」ということを考えることによって、目先の作業が丸々要らなくなるということもあり得るわけです。なぜペットボトルの市場を調べる必要があるのかを考えた結果、実はもっと違うことを調べると根本的な解決になるということがわかった。しかもその違うことというのは、わざわざ調べる必要も無く、自分が3秒で答えられるようなことだった。ということになれば、調べるという作業自体がまるまる不要になるのです。つまり、そのぶん横着することができますね(笑)。短期的に見ると時間がかかって損するように思えるかもしれませんが、長期的に見ると、非常に楽になる部分が大きいのです。そういったことからも、「なぜ」を考えることにはメリットがあると思いますよ。やって損はないのではないでしょうか。



――次に、俯瞰的に考えるとはどういったことでしょうか。


俯瞰的に考えるということの意味合いの一つは、自分を客観的に見て、「自分は偏っている」と認識することですね。自分を中心にして前後左右を見ていても、自分が大きい絵の中の一体どこにいるかというのはわからないのです。したがって、ですので、地図を大きく作って、その中で自分の位置づけをはっきりさせるというところでしょうか。それによって、自分の偏りがわかり、考えていることに優先順位がつけられるようになります。優先順位をつけられると何が良いかと言うと、自分が取り組んでいる以外のことについて聞かれたとき、余裕を持って答えることができます。もともと一つのことしか考えてないと、想定外のことを聞かれたときに対応できません。しかし、最初に大きく地図をつくっておけば、違うことを聞かれてもそれが地図のどの辺りにあって、それについてはどう考えているのかを説明することができますよね。優先順位をつけないと、あとから戻って考え直さないといけないということが何度も発生します。また、仕事のペース配分などもわからないでしょう。そう考えると、優先順位をつけることは円滑なコミュニケーションにおいても大切ですし、考えに抜けがないかチェックをするという意味でも大切だと思います。



――優先順位というポイントが出てきましたね。それについてもう少し具体的にお話いただけますか?


例えば、バイキングのお店に食事に行くことを考えてみましょう。ホテルのバイキングなど、食べ物を取るのに一列に並んで人の列ができているような場面を想定してください。そこで、自分は中華が好きだからといって、あまり全体を見ずに、とにかく目に飛び込んできた順にそればかりを目一杯取ってしまうと、どうなりますか。それだけで早々にトレーがいっぱいになってしまいますよね。後から美味しいものが出てきても、トレーにはもう取るスペースが無いので、一度テーブルに戻ってからまた取りに行かないといけなくなります。この時、最初にとにかく中華を取るのではなく、列に並び始める前に、全体でどんな料理があるのかざっササッと見てくるだけでも違うと思いますうんです。ざっサッとでも一望してくれば、この辺でこの料理をとって、ここでこれを取って…というように「作戦」を立てることができます。これが、まさに俯瞰して優先順位をつけるということになります。そうしないと、早々にトレーが一杯になったり、逆にほとんど取れないまま終わってしまったということになりかねません。このように、優先順位をつけることは、大事なものをモレなく取るということに繋がります。



――テキストでは次に、抽象化思考について書かれています。これはまた難しそうに思えますが、どんなことなんでしょうか?


そうですね。難しいと思えるかもしれませんが、「考えること=抽象化」と言えるほどに重要なものです。「抽象」と対立する言葉に「具体」というものがありますね。具体とは、一つひとつの「個別のもの」のことです。抽象とは、それらを一般化してまとめたものと考えてください。まとめると何が良いかというと、応用が利くようになるのです。例えば、人間が考えた概念の中に「数字と言葉」というものがあります。「数字」という概念の便利なところは、「3」と言ったらイスでもペットボトルでも同じ「3つ」を指し、その考えをみんなで共有できるところです。ペットボトルとイスの数を数えたい場面があったとします。そこでペットボトル3つとペットボトル2つを合わせたら、全部で5つになりました。では次はイスを数えようとなったときに、もしも「いや、イスの話とペットボトルの話は違うから、これはまたこれで数えないといけない」となると、どれだけ今の人間の生活が不便になっていたかということですね。イスでも机でも、何か他のものを見たときに、「これはペットボトルの話と同じだな」とわかれば、どんどんそれが広がり、応用をきかせることができます。つまり、考えるということは、断片的なものをつなぎ合わせて応用していって、1から10を導き出すようなことだと思うのです。そして、具体的なものを見たときに、どれだけ応用を利かせて、パターン化できるかというところだと思います。これが抽象化ということです。



――細谷さんが別の書籍で書かれていた「アナロジー」にもつながる話ですね。


そうですね。アナロジーとは、「類推する」という意味なのですが、拡大解釈すると、創造的に考えるということです。といっても、人間の世界では「本当に新しいもの」というのはなかなかないので、何か別の世界のパターンを持ってくることがほとんどです。何か新しいものを生み出すときには、何かのパターンから、それを全く別のものに持ってきて適用します。持ってくるのは、実は同じパターンだけど、具体的レベルが違うというものですね。それによって、新しい発想が生まれます。また、アナロジーの際には必ず抽象化が必要です。アナロジーは、言ってみれば「遠くから借りてくること」です。借りてくると言っても、見た目が似ているものとか、誰が見ても同質のものを持ってくるというよりは、抽象レベルで似ているものを持ってくることですね。例えば、ストーリーであれば「流れ、展開」などを借りてくる感じでしょうか。登場人物や設定は全然違うけど、関係性や、やっていることは同じという場合です。他には順番、パターン、法則、構成、関係性などが挙げられます。



――今までお話いただいたこと全てに共通するのですが、「考えること」は、人によってはなかなか難しかったり、苦手意識がある人もいるかとも思うのですが、細谷さんご自身はいつからそうした「考える」ということを意識するようになったのですか?


私はもともと技術職だったのですが、その後コンサルタントになり、コンサルタントの仕事ではこういった思考をずっとしていましたね。逆に技術者の仕事ではこういう思考はしていなかったです。むしろ技術者の方がある意味で保守的と言うか、去年やったことを今年もそのままやるという思考が大きかったように思えます。技術者と言っても、ノーベル賞をとるような本当の「基礎研究」をするような一部の技術者を除けば、基本的に今までやったことを繰り返している仕事が多いのではないでしょうかです。95点を100点にするようなことをしている技術者が圧倒的に多いので、意外と保守的というか、あまり変えたがらない思考は強いと思います。そういう意味では、技術者の思考回路は必ずしも創造的ではないかもしれませんね。




――技術のお仕事だと、目的が創造的なところでない可能性も高いですしね。そのお仕事を、コンサルタントに変えようと思われたキッカケはなんでしたか?


今思うと、大きい会社が向いてなかったんだと思いますね(笑)。ただ、人生の選択というのは、その時考えていたことと、後から思うことが違うということが意外とあるものです。その時のことを考えると、技術職の中でもコンサルタントに近いような仕事をする機会がありました。当時は、設計の際に図面とプラスチックモデルを用いていたのですが、新しく、コンピューターを用いて3次元CADを使おうってみようという試み手法がはじまりました。そこで、設計のやり方を変えるという部分に携わりました。そこでは前例が無いので、自分の好きなようにでましたきたんです。誰もやったことがないため、こうやったらどうですかという自分の意見を聞いてもらいながら進められました。そういった体験を通して、自分にはこういう仕事の方が絶対向いているし、面白いだろうと感じましたね。それがキッカケでしたね。
 それと、先ほどの質問にちょっと戻りますが、よくよく考えると、けっこう物心のついたころから「考える」タイプだったからもしれません。いわゆる「あまのじゃく」でしたからね。人が何か言っていると「本当か?」と思ったりしていて、ある意味で性格の悪さみたいなのがありましたから(笑)。体育会系の先輩に可愛がられるタイプとは逆と言うのでしょうか。「○○やってこい」と言われたら「本当にこれをやるの? なんでですかね?」みたいな感じがありましたね。そういうのは生まれつきかもしれません。「考える力」も使いどころが難しいと言えば難しいですので。


――そのお話で思い出したのですが、細谷さんの著書を読んでいてすごく印象に残っている部分があるんです。それは、「地頭力を家庭に持ち込んではいけない」というところです(笑)。





そうですね(笑)
――家庭で、「今日なんでおかず秋刀魚なの? どうして大根おろしついてないの? 俯瞰してみるとこの色合いがさぁ……」などと言い始めたら、会話がやはり成り立たなくなってしまいますよね。




そうですね。コミュニケーションというものの中では、逆に一番「共感」が大事というか、とにかく信じるというところからスタートしないといけないので、その点、全然違いますよね。

――少し話は変わりますが、今日、お話を伺っていて、考える力を高めるには、「無知の知」のような自分に至らなさを自覚することが求められると思うのですが、それは言ってみれば自分を追い詰めていくことだと思うのです。それって、けっこう辛いことではないですか?




それはその通りで、やはりつらいときもあると思います。自分を責めすぎると辛くなってしまうので、そこはバランスが大事です。先ほどの共感の話と一緒ですね。ただ、自分を成長させようと思うと、どうしてもそれは必要になってきます。しかし、度が過ぎるとやはり辛くなってくるので、そう感じたら、考えるスイッチをそこでOFFにすることが重要ですね。
――で、もちろん家庭では地頭力をOFFにすると(笑)
その通り(笑)
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