知らぬが仏

しらぬがほとけ・・・・
ものごとはすべて、真実や真相を知らなければならないということはありません。本人に知らせない方がよい場合もありますから、周囲の人が詮索などしない方が万事うまくいくということがあるのです。

  俗言は「知らねば仏、見ぬが秘事」というように続きます。また多少違うニュアンスですが、「知らぬが花」というものもあります。
英語では、一Ignorance is a bliss(無知は至福である)という言葉があり、こちらの方は、ほとんど「知らぬが仏」と同意語です。Ignoranceは「無知」というより、「知らない、知っていないこと」という意味です。

「真実や真理を追求したり、もののごとの真相、場合によっては事件の真犯人を突き止めることが重要であると同時に、その答ができたときに、だれもがすべてを知らなければならないということはなく、本人にも知らせなくてよい秘めごともあるということです。本人に知らせないということを、罪悪のようにとり、「本人をコケにすること」と解する考えもあるでしょう。しかし、結果的に本人のためになるならば、口をつぐんでしまうことが、よいということを平易な言葉で言い表したものと思います。

日本の伝説・文学のなかには、「見てはいけないものを見て悲劇を生む」ストーリーのものが数多くあります。もっとも知られているのが「夕鶴」でしょう。

伊玖魔氏が民話をオペラ化し、日本人のつくった最も美しい物語の一つが世界にも知られるようになりました。ヒロインは鶴の化身である女性で、愛する男のために、自分の羽を織って布にし金に代えているのですが、「私が機を織っている間は、決して部屋を覗いてはいけませんよ」と頼むのです。男がこのタブーを破ることによって、悲劇の終局を迎えることになります。
類型的な民話としても、女が蛇であったり、狐であったりするものがありますが、どれも男性側が見てはいけない女性の素性を覗き見ることによって破滅をまねきます。このストーリーは美しい女性で外国-----時に外来民族-----の女性との結婚運命を暗示しているようにも思われます。

さて、現代社会の応用として考えてみたとき、この教えは、現在も生きつづけているのではないでしょうか。
たとえ本人以外には周知の事実であっても、時期がくるまで本人に知らせないでおくとか、秘密を守りとおす方が、結局は平和な状況を保つことも多々あります。

これは、「臭いものに蓋」というものとは意味が違います。不正や汚点については徹底的に究明して、衆人の前にさらけだす必要があります。権力者のためとか、利益のために真実をかくすことに協力することがよくないのは当然です。
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