疾風に頸草を知る

激しい烈風が吹くと、弱い草は倒れて強い草だけが残るように、信頼できる部下かどうかは、ピンチになってそれを乗り越えるというような局面に遭遇してみないと分からないということです。

後漢書・王覇伝にあるこの言葉は、後漢の名君といわれる光武帝のものとして知られています。
 同様な用例が史書のなかにいろいろと綴られています。

 「宋書」によれば「疾風に頸草を知る」に続いて「巌霜貞木」とあり、「厳しい霜が下りると、その寒さに耐えられる木だけが枯れずに残るように、忠節を守れる臣下かかどうかは、困難な時が来ないと分からない」と述べています。「隋書」には、煬帝の言葉として、「世乱れて誠臣あり」とし、唐の太宗は「風霜もって草木の性を分け、気乱にして貞良の臣を見る」と具体的にこれを表現し底しています。

 おそらく、中国の古代社会では一国の政治が安定し、各階層の官吏の地位が保障される時期が比較的短かったので、「日和見的」な処身術を身につけるようになったものと想像できます。君主としては、誰が自分に最後までついて来るのか分からず、結局は実際に非常時を経過してみないと人物判定はできません。それを慨嘆した言葉として後世に残されたのでしょう。

 現代社会に置きかえてみたとき、身近にも古代中国のような乱世の風潮が随所に見られます。
 政界の人びとの変節ぶりは目にあまるものがあり、「一寸先は闇」のたとえどおり、まったく見通しがたちません。政治の世界は予見することが難しく、政策についても今日のYesが明日のNoになるとすると、国民はどの党に票を投じてよいか分からなくなります。そのように判断がむずかしいときに、政治家の「節操」をうらなうには、やはり難局での対応のしかたを「個人の行動のうえで看破する」ことになります。

 ビジネスの世界でも、産業構造が急激に変わっていくなかで、「つねに正しい見通しを立てる」ということは不可能です。そして、企業の首脳の失敗によって、「会社の政変」も頻繁に起こり得ます。
 サラリーマンの態度としても「旗幟鮮明」にするというわけにはいかないかも知れません。後で逆の結果が出たときにたちまち窮地に陥ることになりましょう。

 社内に「派閥」をつくり、グループ外の人を排除するというようなことをときどき耳にします。閥の人脈の一員であることが社内で知れることは、身の安全をはかるうえでかえってマイナスになるという現象が生れてきます。
 口常の業務のなかで、「ごますり」「上役の顔色を見る」「提灯持ちをやる」などの風潮が現われるということは、組織の活性化や個性の尊重に反することです。
 幹部の人びとは、つねにこの現状のなかで部下に接触しているのだということに注意して、人物を表面だけで見るのはやめたいものです。
  

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