籌を惟幄の中に運らす

はかりごとをいあくのなかにめぐらす・・・・・
優れたブレインを組織の中枢のところに集めて、そこで十分計画を練って実行することによって、遠い地域まで、自分の思い通りにコントロールすることをいいます。

 出典のストーリーは、「史記・高祖本紀」と「漢書」。高祖の天下を掌握したときの逸話として綴られています。
宿敵であった項羽を倒し、漠王となった劉邦の言葉として、「参謀としての役割を果たした張良は、宮中のとばりのなかで、作戦を練り、千里もの遠隔地でみごとな勝利をおさめた。私には、そのような手腕はない。また、国の内政を見ることについて、蕭何は宰相として自分よりはるかに優れている。また、将軍とし戦闘に卓越しているという点では韓信が秀でている。しかし、自分は3人の人傑をよく用いることができ、天下を手中に入れることになった」とあり、その冒頭の箇所の「天、籌を惟幄の中に運らすは、吾、子房に如かず」から、表題の語句が使われるようになったのです。なお子房は、張良のあざな名です。

「将は将たる器」という成語があり、劉邦は、まさにそのような人物だったのでしょう。人柄は謙虚で、庶民的感覚を忘れなかったと言います。

劉邦と仇敵の楚の項羽について人物比較をしてみましょう。当時、実力は項羽が本命とみられていましたが、都の咸陽に先着を果たした劉邦は、秦王の財宝を貯えていた阿房宮をはじめ莫大な財産に手を触れず守り、項羽を待ちました。

これに対し項羽は、大軍を率いて後から都に乗り込んでくると、投降した秦王の子を殺し、阿房宮に火を付けたのでした。その火は3日も燃え続けたといい伝えられています。

さらに、項羽は「咸陽は山河にかこまれた肥沃な土地であり、ここに都をかまえましょう」という輩下の進言を無下にしりぞけ、故郷の楚に錦をかざることを主張しました。これを聞いた識者の一人は、「沐猴にして冠す」といったとのことです。これは「猿が冠をかぶっているようなもので、天下人としては、ふさわしくない」という意味です。

それを聞いて怒った項羽は、識者を捕えて煮殺したといいます。人びとはそのような話を聞いて、劉邦擁立に傾いたとのことです。
結局、作戦について部下の意見を聞く度量の大きさ、最高の地位を目前にしての謙虚さの有無が決定的な差となって現われたのです。

この教訓は、現在の企業社会にもあてはまります。自分の上げた成績がすべてみずからの能力であると考えるのは錯覚にすぎず、劉邦の言ったように「自分の部下に優れた人がいたからこそ、今の成果を上げることができたのだ」という心構えが肝要です。

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