第12回:いろいろな人たちとの生活:文化を超えよう
 先月、引越しをしました。2001年に横浜からシカゴに引越しをして、これで5回目の引越しです。もう毎年の恒例行事となっています。これまでには寮で生活していたこともあり、いろいろな国の人と一緒に住みました。アメリカ人、フランス人、メキシコ人、リトアニア人、台湾人、中国人、韓国人、アルゼンチン人、国籍不明の人など多様なバックグラウンドの人たちと楽しい時間を過ごせました。

 中国人が多いフラットからは大きな中華なべを振る「カシャーン、カシャーン」という音が常に聞こえてきます。食事時にはどこからともなく大量の中国人が現れて、一瞬にしてダイニングは中華大衆食堂と化します。若いアルゼンチンの男の子には掃除という概念がありません。食事の後にはパンくずだらけです。

僕も整理整頓・掃除の概念が欠落していると言われますが、彼らの食事の後と比べると、僕のスペースは無菌室のようです。
インド人は九九を20の段ぐらいまで言えますが、洗いものがどんどんシンクにたまっていきます。韓国人の男の子のところには、毎月キムチが送られてきました。僕も美味しいキムチを分けてもらっていましたが、冷蔵庫が一気にキムチ臭で充満します。納豆よりはマシかもしれませんが。韓国の人たちのブランド好きにも驚かされます。まるで丸の内のOLです。トイレのスリッパにシャネルのロゴが入っていて喜ぶのは大阪人と韓国人ぐらいしょう。

メキシコ人とはなぜかいつも気が合います。ロスアンジェルスにいた時もシカゴの時もルームメイトがメキシコ人でしたが、とても気が合いました。今でもベストフレンドです。僕の前世はテキーラかタコスだったのかもしれません。

 いろいろな国の人と出会えています。いろいろなダンスや音楽、多様な考え方、様々な宗教、とても美味しい食事(特にフランス)や、お世辞にも美味しいとはいえない料理(特にイギリスに多い)などに接することができています。

 ただ、以前にも書きましたが、やはり異文化交流が一番楽しいのは、違った文化の向こう側に、同じ人間がいるということを感じた瞬間です。誰でも恋には悩みます。恋人にふられれば、飲みたい夜もあるでしょう。研究がほめられれば嬉しいし、行き詰まれば、誰かにそれを聞いてもらいたくなります。同じような夢や希望ももっています。挫折することもあるし、希望(や勘違いの期待)で満ちる時もあります。

 全く違う文化で育った人でも、その文化の後ろには、同じような1人の人間がいるのです。その文化を超えた部分で分かり合えたときにこそ、初めて本当のインタラクションを感じます。やっぱり、異文化交流は文化の壁がなくなったときに一番楽しい。さんざん、「中国人は・・・、アルゼンチン人は・・・、インド人は・・・」などと書きましたが、実はそれを超えたところに一番のエッセンスがあるのです。

ところで、たまに、日本人は他の国の人にどう映っているのだろうと思う事があります。いまだに「日本人は世界で一番野蛮で残酷な人種」だとも一部には思われています。そのイメージを覆せたかどうかは定かではありません。特に、結婚して妻が渡米・渡英してからは、そのイメージが強化された節があります。少なくとも僕の中ではそのイメージが正しいものだという自信が確信に変わりつつあります。

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