米国での職探しに有利な名前、不利な名前というのはあるのだろうか。

以前から関心を持っていた問題が、たまたまスイッチを入れたテレビのニュース番組のトピックになっていたのに驚き、つい最後まで見てしまった。あるアフリカ系アメリカ人(黒人)が、全く同じ内容の履歴書2通を異なる名前を使って同じ人材斡旋会社に送ったところ、一つの求職申し込みだけに返事がきた。返事がきた履歴書には白人によくある名前を、返事がこなかった履歴書には黒人と分かる名前を記入していた。人種差別が単なる人名レベルでも行われている米国社会の現実を見せつけられて、「やはり」と思う一方、怒りとやりきれなさを感じながらスイッチを切った。

米国は機会が平等に与えられている社会だとよく言われる。なるほど、大概の会社紹介の資料には”An Equal Opportunity Company (機会平等の会社 ) “という言葉が記されている。「我社は、採用から昇進、給与、解雇まで全ての面で皆平等に扱います」ということなのだろうが、それは単なる建前の場合が案外多いのではないか。

こちらの新聞にも週末には何十ページにもわたって求人広告が載る。ただ、変な話だが、広告が出ているからといって実際にそのポジションが空いているかというと必ずしもそうではないようだ。ワシントン近郊の大手インターネット関連会社で働いている男性契約社員によれば、求人広告は形だけのものも多く、雇用者が法律上必要に迫られて仕方なく広告を出しているだけとのこと。つまり、ポジションによっては、既に意中の人材がいても、訴訟を起こされる場合を想定して公に募集広告を出し、その記録を残しておく必要があるらしい。 私も、かつて就職活動をしていた頃、新聞広告に応募し、返事が来たので面接に行ったら、居るはずの面接担当者はそこに居らず、代理人が出てきてその場を繕っていた。何か変だなと思っていたら、実はそのポジションには当時社員として働いていた外国人が就くことが既に内定しており、雇用者は同社員の就労ビザ更新のために必要な手続きの一環として求人広告を出しただけであることが後日、判明した。

機会の不平等は職探しに限らない。大学入学においても、レガシー (legacy) と言われている問題がある。例えば、東海岸のある名門私立大学に入ろうとする場合、志願者の親がその大学の卒業生であれば、志願者は入学者選定時に追加点がもらえるという同窓生子女優遇システムだ。数年前、エール大学卒業生からこの話を聞いた時には驚いたが、ブッシュ大統領が今年8月のマイノリティー・ジャーナリストの大会でこの問題に触れているくらいだから広く取り入れられているシステムなのだろう。ただ、黒人指導者ジェシー=ジャクソン牧師は、このレガシー・システムを利用できるのは裕福な家庭に生まれ育った子女に多く、金銭的に恵まれない人々への教育の機会を奪っていると批判していた。教育の世界にも、機会の不平等が存在する一例だ。 

他にも、たくさんある。陪審員制度の米国では、優秀な弁護士を雇える金持ちは「正義を買う」ことだって出来る。高い保険料が一因で健康保険に入れず、まともな医療サービスを受けられずにいる4400万人の米国市民・在住者は、今年の大統領選の争点にもなっている。法の世界にも、医療の世界にも、機会の不平等が存在しているわけだ。

しかし、こうした不平等社会で、市民に平等に与えられている機会が一つある。金持ちになることで自らの社会的地位を上げる機会だ。「移民の国」米国では、その人の社会的地位が家柄で決まるというよりも、年収や財産がその基準になる傾向が強い。しかも、どうやって金持ちになったのかは、あまり問われない。そして金持ちになった暁には、ベンツに乗り、大きな邸宅を購入または新築することで、彼らが獲得した社会的地位を誇示する。

これこそ多くの移民者が夢見るところだが、米国社会は富者にとってはすばらしくても、貧者にとっては非情だ。金持ちになることを目標に階段を上ろうとしても、前途には多くの不平等の壁が立ちはだかっている。にもかかわらず、そういうハンディを乗り越えて自らの夢を実現していく強くて賢い人々がいる。こうした成功者が称えられ尊敬されるのはもっともなことだが、それは成功への道が如何に困難なものであるかの証でもある。「自由の国」米国に「結果の平等」は本来存在しない。億万長者になるのもホームレスになるのも本人の自由であり責任であるという、弱者にとっては実に厳しい社会だ。となれば、せめて「機会の平等」だけはあって欲しいと思うのだが、貧富の差、結果の不平等が益々広がりつつある今日、「機会の平等」は脆弱な理想としか映らない。

だから、米国で生活する際には、機会の平等は与えられたものではないことを肝に銘じておく必要がある。それは、様々な手段を用いて勝ち取っていくもののようだ。不平等な扱いを受けたとして従業員が企業を相手取って起こす訴訟はその良い例で、大企業が関係している場合には、ニュースとして報道されることもよくある。上記のテレビ番組では、ある黒人男性が子供には白人と同じような名前をつけるよう強く薦めていた。単なる名前が理由で子供達の成功への機会が失われるようなことがあってはならないからと。

しかし、その一方で、機会の不平等を甘受し、非常に現実的な行動を取りながらアメリカン・ドリームを手にしていく米国人もいる。何年か前、たまたまニューヨークのカフェーで出会った、ユダヤ人と日本人の血を引くある起業家兼コンサルタントもその一人だ。政財界に人脈を築き、ワシントンをベースに日々忙しく動き回っている彼と、一昨年の夏、今度はワシントンのカフェーで思いがけなく再会した。その折に彼は、日本人が米国で「成功」するための秘訣をアドバイスしてくれた。白人中心の米国社会では常に白人を表に出し、日本人は影の存在に徹しろと。米国社会の裏表を知り尽くしている人の言葉だけに、思い出す度に一瞬胸に痛みが走る。


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