もう25年も前のことだ。初めて米国の土を踏み、西海岸で大学生活を始めて間もなく、隣のアパートに住んでいた学生が彼の実家へ夕食に来ないかと声をかけてくれた。米国人家庭に招待されるのは初めてのことだったから「Thank you」とその場で快諾。米国の本格的家庭料理を味わえるものとその日が来るのを楽しみに待っていたのだが、ある晩突然、彼から招待のキャンセルを言い渡された。「エエー?」思い描いていたご馳走は瞬く間に消え去り、ただ呆気にとられたことを覚えている。後でその理由を聞いたところ、要するに「Remember Pearl Harbor (真珠湾攻撃を思い出せ)!」というやつで、たとえ息子のアパートの隣人であろうと、敵国日本からの人間はご法度ということであった。既に戦後34年という時間が経過していたにもかかわらずだ。

毎年12月になるとこのハプニングが脳裏をかすめる。というのも米国の新聞が日本軍の真珠湾攻撃に関する記事を12月7日または8日付紙面に掲載するからだ。そして、こうした記事を目にする度に、米国人の対日感情の根底に真珠湾攻撃に始まる太平洋戦争が今もって息づいていることを再認識させられる。

してみれば、日本の侵略戦争で大きな苦痛、損害を被ったアジア諸国の人々が、戦後60年近く経った今日においても強い反日感情を抱いているのも理解できる。

11月24日の読売新聞の報道によれば、中国社会科学院日本研究所が今秋実施した全国世論調査は、日本に対して「親しみを感じない」あるいは「まったく親しみを感じない」と答えた回答者が53.6%に達したのに対し、「親しみを感じる」あるいは「非常に親しみを感じる」と答えた回答者は6.3%に過ぎなかったとしている。

今後の日中関係に悲観的にならざるを得ないような数字だが、それにしても、反日派と親日派のこのギャップの大きさは一体どこから来るのだろうか。

この調査結果をワシントン近郊に住むコンピュータープログラマーの中国人女性Wさんに話したところ、開口一番、中国政府による情報管理がその一因だと説明してくれた。中国人の日本に関する知識が非常に限られており、しかもその知識は反日に片寄っている。メディア等を通して一般庶民に届く日本関係の情報もネガティブなものばかりだから、バランスのとれた日本観が持てないというのだ。

例えば、ほとんどの中国人は広島、長崎への原爆投下や、敗戦後の混乱期における日本について知らないという。それに、戦後の目覚しい復興ぶりや中国への政府開発援助についても聞かされることがない。つまり、多くの日本人も戦争の犠牲者となったことや戦後日本の良い面について知る機会がなく、「日本は悪者」という固定観念でしか隣国を見れないという。

こうした「日本悪者」観の根源には日本軍の中国侵略による「被害者意識」と共に、経済・技術面で中国を凌ぐ日本に対し「兄貴分の中国が弟分の日本にやっつけられている」という悔しさ、居たたまれなさもあるとのこと。この夏、中国で開催されたサッカーのアジア・カップ杯での中国人ファンの反日行動を思い出させる言葉だ。

しかし、日本に親しみを感じない中国人が数多く存在する一方で、上記の調査結果では、日本に親しみを持っている中国人の割合が2年前に比べ僅かながら増えていることも確かだ。どういう人たちなのだろうか。

北京で生まれ育ち、1990年代初めに渡米したWさんも実は、子供の頃の日本に関する知識は学校教育や満州での親の体験に基づくものばかりだったという。しかし、日本に対し特に親しみも憎しみも持っていなかった。当時、日本にそれほど興味がなかったということだ。

この彼女が今、日本語の勉強をしている。この夏、米国の非営利団体が企画した岡山県でのホームステイを体験したのが切っ掛けで「日本が大好き」になったからだ。数年前、短期間ながら日本を訪ねた彼女の父親や弟も、今では日本人を「好感の持てる人々」と評価しているとのことだ。

ということは、もっと多くの中国人に「教科書の中の日本」ではなく「そのままの日本」を体験してもらうことで彼等の日本観も変わっていくということだろう。幸いなことに、中国の国内事情も次第に変わりつつあり、海外に出られる人の数も次第に増えてきているようだ。ハーバード大学のエゾラ=ボーゲル教授も、昨年のワシントンのシンクタンクでの講演で、ハーバードや他の米国の大学に留学している中国人学生の多さと熱心さについて語っていた。

しかし、Wさんによれば、そうした学生は選別されたほんの一握りの中国人。政府関係者に何らかのコネを持っている人ならともかく、一般庶民がそう簡単に外国に出られるような状況ではないという。その一方で、政府の悪口を平気で言えるようになった北京のタクシーの運転手を例に挙げながら、1980年代からの改革運動が更に進めば、これからの20年で中国の状況は随分変わるだろうとも言っていた。

こうした変化を日本が積極的に利用しない手はない。Wさん曰く、外国に行ける中国人にとって日本は今人気のある国。9.11同時テロ事件以降、外国人が米国に入りにくくなったこともあるが、経済的にも技術的にも世界のトップを競い、地理的にも非常に近い日本は彼等にとってとても魅力があるという。

だとしたら、これからは、中国人の反日感情をより親日的にしていく良いチャンスではないか。靖国神社参拝問題や首脳の相互訪問は政治の領域に閉じ込めておいて、民間レベルでの交流をどんどん進めていったらどうだろう。日中政府が靖国神社問題を解決し、首脳の相互訪問がかなったからといって、それだけで両国民の相互理解が即深まるとも思えないし、一般庶民の親近感が急に増すわけでもあるまい。個人レベル、草の根レベルでの交流こそ実のある相互理解を生み、その経験を積み重ねていくことで、結果的に日中関係が改善されていくのだと思う。その辺のことは、中国人にしても日本人にしても、おそらく皆分かっている。ただ政治が少し邪魔しているだけだ。

Wさんが言っていた。「歴史を紐解けば、二国間には多くの人的交流があった」と。だから、これから様々な交流が日中間であっても何の不思議もないということだろう。中国社会科学院日本研究所の20年後の対日全国世論調査の結果が楽しみだ。

Copyright by Atsushi Yuzawa 2004


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