熱のこもった大統領就任演説と一般教書演説で、ブッシュ大統領は「自由」という言葉を何回も使った。世界から「圧制」の拠点を取り除き「自由」を広めることで、米国の安全が保たれる。だから今、米軍はイラクで戦っているし、必要であれば他国にも軍事展開する用意があるというわけだ。

4年前の演説に比べたら随分自信に満ちていたし、驚くほど雄弁だった。でも何故か説得力に欠けていたのは、彼の言葉が余りに現実離れしていたせいではないか。

米国が先頭に立って自由を世界に広めるという考えは、「米国は自由の国」だという前提の上に成り立っている。だが、「自由の国」であるはずの米国にも、不自由さを思い知らされることが意外と多い。

ドキュメンタリー映画「華氏9.11」では、米国市民にとってとても脅威とは思えない中年男女の平和主義者の集まりに警察官が潜入していたというエピソードが紹介されている。また、ある年輩の男性がスポーツクラブの更衣室で反ブッシュ発言をしたら連邦捜査局(FBI)が訪ねてきたと言う話もあった。滑稽で笑ってしまうシーンだが、その一方で、一般市民がいつでも警察当局に監視されているのではないかとゾッとさせられもする。
9・11テロ事件以来、確かに米国は住み難くなり、物理的にも精神的にも不自由を感じることがよくある。しかし、こうした米国の不自由さは、実はテロに関係したものだけではない。

例えば、昨年の大統領選でも議論された医療保険制度。ちょっと信じ難いことだが、今日、4500万人もの米国人、つまり7人に1人の米国人が医療保険に加入できないでいる。しかも、そのうち1100万人は子供だという。米国の医療費はとてつもなく高いから、医療保険を持てない人々にとっては深刻な問題だ。 虫垂炎の手術を受けた患者の医療費が数万ドル(数百万円)にもなったなどという話を耳にすると、とても病気になどなれないし、病気だからといってすぐ病院というわけにも行かない。ほんの虫垂炎手術にこんなに高額な医療費を請求されたのでは、人によっては自己破産ということにもなる。「それじゃ、保険に入ったら」ということになるが、ごく普通の家族用医療保険の保険料が月々1000ドル(10万円)以上ともなると、入りたくても入れない家族も多いのではないか。もちろん、福利厚生がしっかりした企業の従業員だったら何の問題もない。しかし、思いがけない人員整理や企業倒産で失業を余儀なくされた一般庶民にとっては、住宅ローン、食費、子供の養育費等を考えると、月々1000ドルの出費というのは大きな負担となる。収入源を失うと同時に高い保険料を全額自己負担ということになるわけだから、痛烈なダブルパンチだ。人によっては、医療保険なしの不安な日々を送ることにもなる。

こうした米国の医療保険制度の実状は、いたるところで耳にする。ジョン=ケリー上院議員が先日イーメールで送ってくれたウェブサイトhttp://www.johnkerry.com/listenにも、子供を医療保険でカバーできない母親の苦痛、失業者の不安や苦悩等々、医療保険に加入できないでいる人々の生の証言が収録されている。

彼等の話を聞きながら思うのは、米国で自由を本当に享受しているのは、限られたほんの一部の人間だけではないかということだ。つまり、世界に誇る米国の自由というのは実は、数ある選択肢の中から「選択する自由」を持つ金持ちや権力者のためのものであって、限られた選択肢しか持たない、あるいは時として何の選択肢も持たない貧乏人や弱者には「選択する自由」が大してない。貧富の差が拡大している米国では、富裕層トップ20パーセントが国富の83パーセントを所有し、貧困層等ボトム60パーセントが所有する富は全体の5パーセントにも満たない。米国の自由は富を独り占めする上流階級の特権になりつつあるようにさえ見える。

だから、米国には金持ちになろうと必死の努力をする人々がいる。さもなければ、不自由な苦しい生活を強いられるわけだから。

米国は自由の国だというけれど、多くの国民にとって自由への道のりは決して平坦ではない。


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