「クレジットカードはいつもらえるの?」
数年前、まだ小学校低学年だった娘に突然こう聞かれて少し面食らったことがある。スーパー、書店、レストランと、どこに行ってもクレジットカード一枚で用を足す親を傍らで見ながら、自分がこの魔法のカードを使える日を夢見るのも無理のない話だ。

その時は、単なる笑い話でしかなかったが、考えてみると、10歳にもならない女の子がクレジットカードの威力を既に肌で感じているわけで、そこに米国の消費者性向の原点を見る思いがする。

米国は世界に冠たる低貯蓄・高消費社会。お金がある人はもちろん、ない人もクレジットカードで買い物ができる社会だ。だから皆よく買う。必要でもないのに「安売り」だから買う。「クール」だから買う。ただ買い過ぎた結果、自己破産に陥る人も多く、2004年の破産申告数は156万件にも上っている。一方で、消費を促す社会環境も存在する。クリスマスには、ツリーの周りにプレゼントの山ができないとクリスマスにならないし、頻繁に開かれる子供たちの誕生日パーティーではプレゼントが欠かせない。
ハロウィーンやバレンタイン・デー等、全国レベルでの「消費祭り」もある。ブランド商品のカタログは毎日送られてくるし、映画を見ようと金を払って入った映画館では、見たくもないコマーシャルが上映前に必ず流れる。テレビ、ラジオ、新聞が広告で溢れているのは言うまでもない。いやはや、日常生活が消費を煽るメッセージで埋め尽くされている。

こうした生活環境の中では、物を買うことに満足感や幸福感を覚え、消費活動そのものに価値を見いだす子供が育っても不思議ではない。しかも、高価なブランド商品を持ち歩くことで自分の価値を高め、自分の存在を誇示しようとする若者が出てきてもおかしくない。少し前のワシントンポスト紙には、ルイ・ヴィトンやバーバリー等のデザイナー商品を身に着けて登校する高校生たちの話が載っていた。その記事によると、米国人が購入するデザイナー商品は全衣料品の約7パーセントを占めるが、ティーンエイジャーに関しては2倍の14パーセントにもなる。昨年一年間で1910億ドルもの買い物をしたティーンエイジャーの高級品志向を反映しているというのがマーケティング専門家のコメントだ。コーヒーにしても普通のコーヒーは口に合わず、”grande skim vanilla lattes with extra foam” という高付加価値のコーヒーを飲むのが今の米国のティーンエイジャーらしい。


どうやら米国では、幼児から高校生までの若年層が一大消費者グループとしての地位を確立したようだ。しかし、収入が限られているはずの少年少女が消費活動の担い手として表舞台に登場したことには違和感を覚える。この社会現象の背後には一体何が存在するのだろうか。

『Born to Buy』。昨年出版されて以来、話題になっているJuliet B. Schor女史の本だ。この中で著者は、米企業の子供を対象とした広告・マーケティング諸経費が、2004年には推定で150億ドルにも達したとしている。1986年のテレビ広告費1億ドルに比べたら、雲泥の差だ。その成果だろうか、今日の米国の平均的10歳児は300から400ものブランド名を知っていると、子供向けテレビ番組を流しているNickelodeonのリサーチを引用しながら述べている。また、各種メディアを通じて子供を味方につけながら、必要ならば親にも対抗するという米国企業の「子供市場」戦略を批判気味に論じている。さらに、そうした商業主義から生まれた消費文化が実は、子供たちに精神面でいろいろな問題―うつ病、不安、自尊心の欠如、心身障害等―を引き起こしていると警告し、「商業化された幼年期 (commercialized childhood)」の「脱商業化 (decommercializing childhood)」策を模索している。


こうした危機的な現状を懸念してのことだろう。一ヶ月程前に開かれたアーリントン市の公立中学校の説明会では、昨年9月のNewsweekの記事『The Power of No』のコピーが参考資料として父兄参加者に配布された。新しい消費文化に巻き込まれ「欲しがる機械」になってしまった子供に、親はどう接していったらよいのかを問う内容だ。この記事の中で、ある心理学者は、過度に甘やかされた子供は将来精神面での問題を抱え易いと指摘した上で、親が子供の行動をもっと制限できるようにならなければならないと提言してる。子供はある枠の中に入れられることで気が楽になるし安心もするというのだ。要するに、親が親としての役割をちゃんと果たし、子供の際限のない物欲に対して「No」と言える親になれというわけだ。長時間勤務、共稼ぎ、離婚等で子供と過ごす時間が少なく、その罪悪感からつい欲しがるものを何でも買ってあげてしまう親にとっては、耳の痛い助言だ。

しかし、たとえ親が子供に「No」を言えるようになったからといってこの問題が即、解決するとは思えない。親の背中を見ながら育つ子供は、親の消費行動も後ろからよく観察している。親の「No」が本当に説得力をもつためには、自らの消費行動を制御し、子供の手本となる必要がある。しかし、物質至上主義の産物である今日の米国人の親が、自らの消費パターンをそう簡単に改めることができるだろうか。

子供にも、自分にも「No」と言えない親が抱える問題は根深い。

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