八月下旬アメリカ南部を直撃したハリケーン「カトリーナ」に関するさまざまな報道番組は、ニューオーリンズに住んでいた多くの黒人たちの貧困生活の実態を浮き彫りにした。世界で最も裕福な国から配信されてくる彼等の姿に、唖然とした人も多いのではないか。

あの大災害から一ヵ月半、首都ワシントンに米国各地から10万人とも言われる黒人が集まった。1995年に開かれた「Million Man March(100万人大行進)」大会の10周年を記念し、イスラム教組織「The Nation of Islam」と他の黒人組織が共催した「Millions More Movement」大会に参加するためだ。天候に恵まれた10月15日の土曜日、会場となった国会議事堂前の大広場は、演説に耳を傾けながら、黒人社会が抱えるさまざまな問題とその解決策を考える黒人の老若男女で埋まっていた。

米国を理解する上で黒人の存在は大きい。自由・平等を標榜する米国で、彼等は長期にわたって不自由・不平等の生活を強いられてきたからだ。奴隷制度は昔の話とは言っても、奴隷としての過去は拭い去ることができず、今でも黒人の意識の奥深くに存在しているようだ。The Nation of Islam の黒人リーダー、ルイス=ファラカーン(Louis Farrakhan)師も同大会の演説では「slavery(奴隷制度)」という言葉を「compensation(補償金)」という言葉と共に使っていたし、私の隣で彼の演説を聞いていた黒人青年Mさんも、奴隷として扱われた黒人に国が何の償いもしないというのはおかしいと話してくれた。アメリカ原住民や強制収容所に入れられた日系アメリカ人に対しては、国が救済策を施したのに、黒人に対する不正義に国が目をつむっているのは納得できないというのだ。

過去の不正を正す一方で、自らの地位と生活を向上させるべく全黒人が一体となって行動を起こそうという今大会のテーマの背景には、政府に対するこうした不信感と自分たちの問題は自らの手で解決せざるを得ないという切迫感があると思う。
しかし、こうした黒人の動きに冷ややかな視線を向ける人もいる。今大会前にワシントン・ポスト紙に載ったコラムは、この十年、失業率にしても年収にしても黒人社会に目に見える前進は何もなかったと、大会の開催自体に批判的だった。
でも、だからと言って、何万という黒人が集まる10年に一度の大会が無意味だとは思えない。大会の翌日、ワシントン・ポスト紙に掲載されたコラムも、10年前に見た「より良き世界」を参加者全員で再確認し共有することに今大会の意味があるとしていた。

ゆっくりしているが、そして少しずつではあるが、黒人の生活は着実によくなっているというのがMさんの評価だ。そして、黒人社会の更なる向上のために、他の参加者同様、彼も今大会のメッセージをフィラデルフィアに持ち帰るのだと意気込んでいた。
参加者数が少ないせいもあって、今大会は前大会ほどの盛り上がりを見せなかった。それでも、Mさんは一番楽しみにしていたファラカーン師の演説に満足そうに聞き入り、時折拍手をしたり声援も送っていた。
21世紀に入り、米国の黒人社会はまだ多くの問題を抱えている。表に出てこない人種差別は今日でもいろいろな形で存在しているから、そうした問題の解決は容易ではないと思う。しかし、弱肉強食の傾向がますます強くなっている米国社会では、Mさんのような人々が力を合わせることによって自らの権利を主張し、自らの地位を高め、自らの生活を向上していくしか方法がないのではないか。一つ一つ、ゆっくりと、着実に。
これから10年後、黒人社会はどうなっているだろうか。この大広場で、またMさんと会えたら、その時彼は何と言うだろうか。

Copyright by Atsushi Yuzawa 2005


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