コンサルタントの舞台裏
コンサルタントは張りつめた空気の中で駆けずり回っている。業績や成果を重視する人事制度を作成し、導入を進めている一方で、自分自身も業績責任を負わされ、その数字に汲々としている。先生と呼ばれて安穏としているわけではない。
日本総研の前身である住友ビジネスコンサルティングに平井征雄という人事コンサルタントがいた。銀行系では珍しく著書もあり、きちんとした考え方を持っている人だった。曰く、コンサルタントの人生は短いと述べていたが、50歳代前半に早世した。私は平井氏と仕事したことはないが、入社した時に研修があり、その言葉が妙に気になった。
私がこれまで16年のコンサルタント経験を経てきたことは自己紹介にもあるが、業界では、年齢的には中堅、経験年数的には古株だろう。しかし、この先15年は何とかこの仕事を続けていきたいと思っているが、そのくらいがせいぜい限界であろう。発注者との年齢ギャップが生じて厳しくなってくると思われるからである。35近くまで一人前とみなされないのに、50過ぎると老人のように見られる。顧客と第一線で活躍できるのはまさしく15年程度かもしれない。実際、かつての同僚も独立したりしてコンサルタントを続ける場所を求めたが、結局、行方知らずになった人が多い。
最近、時期は多少ずれるが、外資系のコンサルティングファームで一緒だった人に会った。もともと政府系銀行のシンクタンクにおられ、そこが破綻して外資系に移り、そこも破綻してその後は都銀系の総研で働いている。48歳になる彼の不安は、老化である。ようやく年相応に見えるようになってきたと語るそのコンサルタントも、どことなく老いは感じさせる。ただ、私も48歳、あるいは50歳のコンサルタントの横顔をまじまじと見たことはなかった。確かに、老いをどことなく感じさせた。
ところで、知人は過去の同僚があちこちに移ったという話を紹介してくれた。実名は避けるが、どこは報酬の何倍くらい業績責任があるとか、そんな話がいろいろ出てきた。紹介しよう。
先ず、外資系のX社の場合、資格等級は6つに分かれており、下の4つは業績責任がない。報酬もよくて1000万程度ということだった。これに対してその上になると、一気に3000万とかになるが、業績責任(受注責任)が生じるという。ちなみに、X社、ワールドワイドで日本が最もいい成績だそうである。そのため、トップも長いこと変わっていない。日本における人事コンサルティング業界の外資系は世界的に見て稼ぎ頭なのである。
また、知人、そして私自身が在籍した外資系の場合、基礎年俸1000万に対して受注責任が1億5千万、ただし、達成度に応じて業績加算があり、最高1800万まで支給という条件だったそうだ。これは当時、部署によって事情が異なり、受注力の強かったグループにいると、そういう責任はあまりなくて、むしろ際どい仕事をどう納めてくるかになってくる。外資系の場合、本国へのロイヤリティ支払いなどがかなりあるし、見栄を張って立派な事務所を借りるので、固定費も高いし、配分率も低い。なので、とにかく稼がないといけないことになる。A社の場合、パートナーと呼ばれる役員層は3−10億円相当の受注責任があり、毎期上乗せ更新されていた。クリアできないと解雇というもので、胃がしくしく痛む、法外な値段を吹っかけることに罪悪感を覚える、受けてしまえば手抜きはある程度仕方がない、という状況になってしまう。
私の知人は、コンピテンシーブームで2億円近いノルマを何とか果たすことができたが、翌年にはすぐに翳りが見え、リタイアを決意したという。その後は報酬の2.5倍程度の業績責任だというが、これは低い方である。同じ銀行系でも5倍程度というところがある。これは不採算部門を合算して人件費の3倍程度稼げということだろう。
こういう事情の中で、外資系の上層部は営業に駆けずり回るが、中堅層がナレッジを仕込んで本を書いたりしている。もちろん、きちんとした文章を書く余裕はないので、出版社の連れてきたライターに書いてもらうのだが、骨子になる部分、特に図表などで使う部分は時間をかけて練る。一方、上層部、いわゆるパートナー、ディレクターは講演がうまく、上物のスーツを身にまとい、名刺交換もきりっとしている。これは、外資系には共通する点である。そこが映えない人は外資系では活躍できない。
また業界は離合集散が激しい。1つのファームに留まる人は少数派で、3つ以上のファームを経験している人も少なくない。これは、@受注責任の少ないところに逃げるパターン、Aノウハウのあるところに積極的に転職していくパターン、B引き抜きで移っていくパターンなどいろいろである。しかし、ナレッジという意味では個人のほうが充実していると思う。そうなってしまうのはいろいろな事情がある。
本を出版したり、雑誌の記事を書いてもあまりお金にはならないが、自分の知識の整理や情報収集には役立つ。多くのコンサルティング・ファーム(人事系)は、そういう労力を基本的に評価しない。とにかくお金をどれだけ集めたかにこだわる。そのため、世間では知名度のないコンサルタントが業界を牛耳っている。
個人の場合、看板力がない。仕事を持ってくるにはそれなりのナレッジの整理が先ず不可欠になる。そのため、本を書いたり、雑誌に寄稿を重ねることから、独立準備をする。もちろん、そういう記事や本がすべて優れているわけではないが、そういう行為をしないと始まらないという状況がある。私の場合も、独立した後にいろいろな本を原典でむさぼり読んだが、ファームでやっている時はそこまでの切迫感がなかった。そのため、長年、同じような落としどころで仕事をしていた。
外資系のあるファームが6等級だということを紹介した。これに対して、監査法人系の場合、パートナー、マネジャー、コンサルタントの3つになっていて、コンサルタント職がさらに細かく分かれていた。和製のある会社の場合は、12等級以上あり、かなり年功的になっている。35歳で副主任、38歳で主任、40歳以上で主席というふうになっていて、新人が入ってこないまま、各人が昇格していくと、全員が上席主任コンサルタントになったりしてしまう。そうなると、縦の業務分担ができなくなり、受注から最終段階まですべて一人でやらないといけない。
私の上司だった人は、独立系のコンサルタント会社から移ってきて以来、コンサルタント歴が25年くらいの大ベテランなのだが、40歳時点で表計算ソフトもできないし、キーボードが基本的に打てない人だった。しかし、講演をしたり、込み入った話を取りまとめるのはうまくて、日本の人事コンサルタントでも有数の経験を持つことになった。その元上司の口癖があった。「9割は誰にでもわかる、当たり前のことをわかりやすく話せ。あとの1割は自分でもわからないことを、訳のわからない話し方で話せ。そうしたら、コンサルタントとして認められる」。しかし、こういう話が通用するのは中小企業だけであり、大手企業では通用しない。結局、大手企業を相手にするファームに移って半年ほどで八方塞がりになり、個人コンサルタントでスタートすることになった。
また別の上司だった人は外資系に移り、桁外れの受注力で辣腕を振るった。数年で自分のグループをちょっとしたコンサルティングファーム並みに育て上げた。しかし、きちんとしたノウハウに裏付けられて受注したプロジェクトではないので、薄氷を踏むような仕事ばかりになった。例えば、100名ほどの中小企業で職能資格制度を作って半年で3000万という仕事もあったし、大手企業ではそれが総額で数億円になっていた。コンサルティング契約が経営トップに近い層で決定されているので、1会合いくらというものの積算で決まっているものではない。大雑把に5千万円単位で決まっている感じだった。結果的には、長く続く商売ではなく、その時にメンバーを抱えて独立した。最初の頃は和製マッキンゼーとかそんな噂もあったが、1年半位してHPを開くと、当初のメンバーはほとんどいなくなっていた。
コンサルティングをしていると、度胸がつく。どう答えていいかわからないことを聞かれ、追及されることもある。やっているうちに豪胆になってくるが、ある意味で無神経になってくる。また経営側の立場のみで人事改革を進めることは、冷徹なキャラクターになってくる。というのも、退職金制度改定と言えば、退職金支払いの少ない制度を導入することが多いし、賃金制度でもこの10年は報酬額を削減する制度設計が多かった。何の配慮もなく、家族手当だけを切ったり、とどのつまりは総額人件費を削減する改定だった。
外資系コンサルティング会社が、一連の成果主義的な人事改革を米国型とか世界標準というのは納得できない。そこに米国型も世界標準も実在しないからである。私自身、米国系のコンサルティング会社にも一時、身を寄せた。私は、米国の人事実務を出版物やネット上のコラムでも確認し、本質的には日本と変わらないと思っている。しかし、違うとすれば、雇用機会均等法の縛りの強さであろう。その結果、選抜や登用は厳格になる。解雇する場合もトラブルになりやすいので、そのために人事考課制度を整備し、個人情報の記録をしっかりとやる。それもネガティブな情報を中心に行なうのである。日本では米国の人事考課が訴訟準備のために実施されていることを認識している人は少ない。業績向上とか生産性向上とか能力開発などはあくまでも副次的なことなのである。
また米国では職種別管理が徹底しているので、職務を横断して人事異動することがない。そのため、日本で神経を使っている部門間格差について気遣う必要はない。各部門が独自の予算で決め、不満があれば申し出て来いということになっているようだ。積極的に話し合おうとする制度を日本では目標管理制度として導入している企業も多い。そういう話し合いを制度として設けるという必然性は米国の場合、ない。ただし、人事考課についてはなぜそうなったのかを示し、本人の署名も必要になっているし、本人は自分の評価に関する情報を会社に開示させる権利を持っている。実際にやったかどうかは別にして、自分の報酬を吊り上げようと必死になるのであろう。そういう国情は日本にはない。
このように多少の違いはあるが、根本的な差はない。米国にもパワハラはあるし、むしろ日本よりもひどいようだ。直属上司の権限が大きいので、実際に殴ったりする上司も実在するようだ。日本ではそこまでの例は稀有であろう。日本はまだ人材を大切にしているし、育成的な観点が重視されている方だと思う。米国の人材育成の記事を読んでいると、選抜された人についてのみ手厚く能力開発の手を差し伸べるだけという印象をぬぐえない。逆に、日本は育成の目線を誰彼なく配り過ぎでもある。
コンサルタントの舞台裏は強がりの部分である。背伸びの部分もある。クライアントの不安を払拭するために、それはある程度仕方ない部分がある。しかし、コンサルタントを上手く使うには、余白部分を見積もる目線も必要になるだろう。


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