賃金あれこれ
私は人事コンサルタントではあるが、賃金専門のコンサルタントとは言えないと思う。指導した件数自体はそんなに少ない方ではなく、50社は十分超えているが、過去7年になると、その件数は数社しかない。現在は稀に中小企業の総合的なコンサルテーションに関わることもあるが、その比率は低く、大手ないし準大手の企業が対象になっている。私のクライアントで上場していないところはほんの一部であるといえば、イメージして頂きやすいだろうか。
人事コンサルタントとしてスタートを切ったのは銀行系シンクタンクだったと自己紹介を含めてコラムに書いたことがある。しかし、通算3年間で、上場会社に関与したのは1社だけだったし、その製薬会社の仕事は大きなプロジェクトで、5人くらいで担当することになった。しかし、そこの資料を作ったのは、コンサルタント経験が1年ほどだった私一人で、評価制度、資格等級制度、賃金制度などほとんどのものを一人で作った。当時、その会社は業績不振だったが、年俸制など思い切った人事制度を導入した。しかし、一転してバブルが弾けた頃、成果主義的な人事管理をやめるということで、当時の三和総研のコンサルタントに事例紹介されたりした。90年代半ばくらいに、成果主義をやめるという例はそんなにないと思う。それだけ導入した制度はある意味で弊害も伴う過激なものだった。
賃金制度を避けているわけではないが、私は人事評価のコンサルタントというイメージが強く、受託している仕事は、業績評価制度、行動評価制度、コンピテンシー、あるいは能力開発制度のうち、ケース作成(ヒアリングをして行なうもの)、アセスメントの演習教材の作成などが多い。これだけコンピテンシーを批判しても、なおコンピテンシーを導入したい、最新の米国型の人事システムを入れたいといって、私にコンタクトを取ってくる人が後を断たない。一体どういうわけなのか。
私は賃金制度を作る時、その会社に合った仕組みはどんなものか、真剣に考える。ある旅行代理店の人事制度を作ったことがある。91年頃のことである。業界は収益率が低く、倒産することも多い。そんな旅行代理店はローパフォーマーを抱えるだけの体力がない。一方で、人気があり、若い人を集めるのに苦労しない。また仕事内容は1年もやれば覚えられるものが大半で、一人か二人、マネジャー的な人がいればいいことになる。そこで、私は27歳定年制度を提案した。学卒5年間は定昇を保証し、その間、1回ないし2回は昇格できるようにした。しかし、27歳で定年であり、わずかだが、そこで退職金を受け取って退職するか、役員待遇にすることにした。オーナー社長がいたが、中途半端な待遇になっている部長がいた。その人は役員にし、関連会社(ウォータースポーツの洋品店)と兼務してやってもらうことにした。会社はその人事で黒字体質になった。
真剣に考える、といったが、それは経営者の視点で考えて、どういう仕組みなら経営が成り立つかを最初に考える。そのため、労組を無視することになりかねないのかというと、そうではない。その後に労組の強い会社もいくつか、コンサルティングで関わったが、それは非常に勉強になった。中部地区の港湾関係の会社の人事制度を作ったことがあるが、その時は賃金制度では問題解決できないので、退職金で差がつくようにした。92年ごろのことである。
当時、その会社では、2つの組合があり、会社寄りの組合と全国区で交渉力の強い組合があった。会社は会社寄りでない組合への加入をしてほしくなかったようだ。正しい判断かどうかは私も当時わからなかったが、既に昇給や賞与で、会社寄りの組合の構成員はわずかだが、優遇されてきており、それに加えて退職金制度を功労報奨型にして、若干の加算を行なうように制度を追加した。当時、私は不破哲三(元共産党書記長)の『労働基準法を考える』(新日本出版社)を買って読んだ。
もともと文学部出身で法律など詳しくない。ただ、公認会計士の受験勉強を2年ほどした経験があり、その時に民法や商法は最低限やったことがあったので、多少はわかるようになった。不破氏の本は雇用や労働法制をクリアに解説するもので、さすがにシャープだなと感心した。もちろん、その筋の労組で悩まされている会社がクライアントなので、そういう発言は禁句だった。
しかし、経営的論理だけで考える人事制度というのは問題が多いということも考えさせられた。その時、既に少子化の問題は指摘されていた。しかし、そういう視点で人事制度をアレンジする視点はその企業にまるでなかった。この10年余りで、少子化はますます進んだし、一旦は女性総合職という形で立ち上がった男女雇用機会均等法の方向性を実現する動きも、派遣労働の増加などで影に隠れてしまった。
2年ほど前、私鉄の関連会社の人事制度をフルでコンサルティングした。1年近くかかったが、人事制度を最初から最後まで作って落とし込む作業で、自分の考え方や構築方法を整理するよい機会だった。従業員は約800名、パート社員4000名だった。2つの会社が一緒になったという経緯があり、1つの等級には納まっても、同一等級の職能給が非常に幅のある状態だった。またある会社から営業譲受した人員と元の会社の人員がいたのだが、賃金格差が結構あったし、年代間のギャップも発生していた。無理はあるのだが、是正もしないといけない。2回の是正昇給を実施して若手を中心に救済した。一方、パート社員の処遇もあれこれと考え、いろいろな手立てを思案した。人数的には最も多いし、頑張ってもらわないといけないところでもある。しかし、10円上げると、経常利益にガンと効くので動かすのは大変だった。かといって、人員削減もできない業態だった。パートと同じ仕事内容なのに、正社員で年収600万くらいの女性従業員が何人かいて、全体の中での均衡を考えると、上乗せ退職金を払って退職させ、パートで再雇用することもアイデアとして出したが、難色を示された。また中高年の社員の賃金を更改後に抑制することも提案したが、むしろ上げてくれという要求があった。丁寧に職務調査を行なったが、管理職でもない50歳過ぎの社員にどうしてそんなに払わないといけないのか、全体の原資から言えば、おかしいではないかと半ばボヤキのように言ったが、通らなかった。据え置くのがやっとだったが、それでもブーイングがすごかった。人事制度の説明会で野次を飛ばす人とかがいて、少しムカッとした。

人事コンサルティングをするには、経営者の感覚だけではなく、働く側の都合も理解しないといけないし、労組問題にも詳しくならないといけない。90年代半ばくらいまでは年功的な観念もいい意味で残っていて、不利益変更をしてはいけないという大前提もあった。しかし、外資系人事コンサルティング会社が参入して以降は、思い切って人事改革を断行するという論調が目立ち、実際、成果主義の御旗の下に、総額人件費も労働分配率もフリーハンドで描かれるようになった。
外資系人事コンサルティング会社の宣伝によく出てくる大手の製薬会社がある。実はこの会社の2階に私の在籍した銀行系のコンサルタント会社は間借りしていたが、その会社のコンピテンシー改革、成果主義人事が成功例としてよく出てくる。確かに、行動インタビューでアセスメントする試みなどは斬新であるかもしれない。しかし、労組にも知らせず、突如、グローバル化に対応するために5年間で従業員を半減させるとプレスに発表し、日経の一面に出るような事態を「正しい人事改革」と捉えていいのだろうか。私は16年間やってきたが、最初の頃は年功賃金でコチコチの会社に能力主義を理解し、運用させるだけで大変なこともあった。そういう経験からして、そんな大胆過ぎる「改革」をいとも簡単に認める時代になったのかと少し驚いた。
また外資系コンサルティングファームが関与した消費者金融の会社がある。店舗を4分の1にする大胆なリストラを行なうそうである。ハイパフォーマーを探して、ハイパフォーマーになるように煽る、徹底した成果主義の実践ではある意味で稀有の例かもしれない。大卒3年目で年収1000万を超える店長もおり、その給与水準はビッグビジネスを超えるものがある。
成果主義は新自由主義の権化であると別のコラムで指摘した。業績・成果が上がるかどうかだけを重視するという視点はその本質がコンピテンシー・アプローチであるとも述べた。そういう意味で、コンピテンシーは成果主義と密接不可分に関連する仕組みと言えるかもしれない。また和製のMBO(目標管理制度)はノルマ主義的側面があり、長引く不況の中で復古してきたものであり、これも成果主義には関連が深い。それらを否定するのは簡単だが、その底流にある論理をきちっと見定めているだろうか。そして、ここでもう一度強調したいが、成果主義に傾斜することはコンプライアンスを否定することになるということである。コンプライアンスを軽視したために起こった事件がこの数年、相次いでいるが、その前の段階で、成果主義、業績主義で突っ走ったことがあるはずだ。
私がこの数年に関わったクライアントはいずれも水準が高く、年功的な傾向が強かった。年功賃金は優秀な人材を集め、安心感もあると思う。昇進昇格であまりに番狂わせすると、意欲を下げてしまうことも多い。実際、私の窓口だった担当者は同期入社に昇格を先に越され、半年近く落ち込んでいた。それまでは二人は仲がよくて、昼ご飯などもいつも一緒に、という感じだった。
年功賃金はそれなりに優れた仕組みだが、変貌してきている。時代の流れなのか、昇進昇格を大胆に行なって活性化を狙うという企業もある。そのひとつに公共系企業があるのだが、30歳代半ばに2回だけ昇格考査を受けることができるが、ダメだった場合、その資格等級に留め置き、昇格の対象にしないという。私の知人は人事担当で、その方は退職するまでいわゆる第一選抜で滞在していたが、昇格の遅れた同期入社の友人が何とか頑張って挽回するとこの数年、深夜にまで及ぶまで残業しているという。しかし、人事担当である彼は、いくら頑張っても、人事考課で5段階の2以下を何度か取り、昇格機会を逃した人にはもう機会がないということを口にできなかったという。そして人事担当から見て、彼は、人柄はいいのに、何となく誤解されやすく、上司の覚えが今ひとつよくないという。ただし、その評価が低くなったのは誰でも低く評価する人が何年かその彼の上司だったという事情もあったらしい。人事担当が見てもどうなのかという評価も一旦つけられると事実になり、一人歩きしてしまう。そして、その人の賃金を決定してしまう。
年功制を復活させよ、という議論もある。一方で、それに対する痛烈な批判もある。高橋伸夫氏の議論に対しては、いわゆる人事コンサルタント、人事担当は比較的冷ややかである。私は賃金というのは個別企業の問題なので、総論はあまり意味がないと思っている。経営的に原資がないのに高い賃金は払えないし、一方で賃金の払えないような事業なら縮小するか、やめてしまうしかないと思う。
昔、北陸方面の会社(繊維関係)をコンサルティングで訪問したことがある。また同じ頃、三重県の会社(電子部品)にも行った。関西と比較しての話だが、非常に賃金が低かった。特に女性の賃金がこんなに低くて集まってくるのか、と思ったことがある。しかし、それでもその会社はその後、中国に移転を余儀なくされた。より一層安い賃金を求めてのことである。また一社は廃業に追い込まれた。その会社の生み出すクオリティよりも市場は安さを選んだ。
賃金はある意味で関数なのだが、最適な解を導き出すには、どういう変数があるのか、何が動かせて、何が動かせないかを全部列挙して考えてみることにしている。私の言葉尻をつかまえて年功賃金がよいと主張しているように思われるかもしれないが、そうではない。そういうことが可能なのはビッグビジネスのホワイトカラーだけである。そこでさえ、コア人材を早めに絞って昇格を止めたり、外へ出したりしている。今後は評価の低い実在者を雇い止めにするようになるだろう。とにかく雇用の扱いは軽くなっている。
いわゆる人事コンサルタントの言うように、賃金を刺激的にすれば、活性化するかというと、長い目で見てそうなっていないので、私の見解は否定的である。賃金による刺激性を重視した会社は多くが破綻してしまった。人材が育たないし、会社に余裕がなくなって暴走してしまう。限度があるとかバランスが大事という通俗的な説教もあまりしたくない。それはまさしく経営者の舵取りの問題だからである。


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