職場の困った人々
コンスタントに高業績を上げる社員のことをハイパフォーマーというそうである。そんな人がたくさんいれば心強いだろう。管理者が黙っていたって会社全体の業績も上がるし、仕事をしていない人も安心してお給料をもらえるだろうし、トップが面倒くさい経営戦略を考える必要もなくなってくる。見方を変えれば、無責任経営である。成果に対する焦りが、こういうハイパフォーマー・マネジメントをよいものだと判断させ、飛びつくことになったのだと導入事例を見て思う。
私のクライアントの1つがコンピテンシーに飛びついたが、そのトップは次のように期待する人材について語った。−入社した時には何の教育を行なわなくても直ちに活躍し、上司の指導を受けるというよりも補佐し、積極的に進言し、アイデアが豊富で、コンスタントに高業績を上げてくれる、しかも30歳に位になったら、周囲に何も言われなくても自ら退職してベンチャーなどで活躍してくれる、そんな人が理想であるということだった。特に、30くらいで自主的に辞めてくれるという点が、その社長さんらしいなあと思った。30過ぎて活躍しないでふわふわしている社員が多い会社だったからだ。
しかし、そもそもハイパフォーマーは会社と一緒に行動を共にしてくれるのだろうか。疑問も多い。コンサルタント業界に長く身を置く者としてみれば、そんな実力のある人なら、とっくに独立して、気の合う仲間数人の会社を作って、自分の身入りを少しでも多くしようとする。ハイパフォーマーは転職したりするし、処遇にも不満を持ちやすい。
私が長年顧問をしていた会社でも、高業績の社員は不満が多く、年に数回、報酬の更新などの際に私が面接をし、じっくりと話し合わねばならなかった。一方、平均的な業績の人からはそういう不満はほとんど出てこなかった。社長は処遇に不満のある社員のことを生理的に嫌った。仲立ちするのが結構ストレスになることだったが、その役割を何年もやっていた。
ハイパフォーマーを作ろうとする努力は必要である。ドラッカーによれば、イノベーションで、上位2割のハイパフォーマーが全体の8割以上の業績を上げるようになってきている事実を指摘している。私の経験でも、訪問販売などの場合、売上の9割が上位1割未満の社員によって計上されており、それがイノベーションによるものかどうかはわからないが、似たような状況は生まれてきていた。自社でも業績貢献度がどのような按分になっているかを確認してみるべきかもしれない。
上述の訪問販売の会社の社長は、私にハイパフォーマーを作れるようにしてほしいとは言わなかった。むしろ期待するハードルを低くして、丁寧に指導し、離職率を下げ、歩留まりを高くしたいということだった。その会社の採用媒体予算は莫大であったが、採用しても大半が3ヶ月ほどで退職してしまう。しかし、応募者のレベルもそう高くないし、一人前にするには非常に難しいことのようだった。むしろ、低いポテンシャルの人材を平均的に伸ばしたいという発想だった。またローパフォーマーにしても、いきなり首にするのではなく、コストも指導という時間もかけているので、給与分くらいは貢献してほしいということだった。そういう意味で、ローパフォーマー対策が命題だった。
ローパフォーマーに関する情報は北米では結構あるが、日本では臭いものには蓋という発想なのか、まともに焦点化されていないように思う。
先ず、北米ではどのような解説がなされているか。米国のコンサルタント、マッケンジーは、ローパフォーマーがいかにスター社員の妨げになっているかを力説する。例えば、長い会議を実施して他部署を助けるようなアイデアを出してやったり、ローパフォーマーの起こす抜けや漏れを穴埋めすることになったり、そうした問題点が指摘されている。つまり、スター社員が本来業務でないことに精力を使うことになり、不満をもたれるというのである。またそのサポートの労力も計り知れない。
これについて、マッケンジーは、ローパフォーマーをいかに減らすかが最大のHRM戦略であるとさえ主張している。私が送ったコメントに対して、米国ではローパフォーマーが大問題になっているが、日本ではどうかと電子メールが来た。これに対して私は、日本では、米国でローパフォーマーがすぐに解雇されるというイメージがあり、ローパフォーマーの問題行動をサポートすることこそ、管理者の責任、先輩や同僚の役目といった道徳が跋扈していると返信した。返信は、それでは米国とあまり変わらないではないか、日本はもっと引き締まった組織運営をしているのかと思ったという趣旨のものだった。
日本でなぜローパフォーマーが議論されないのか。それは、日本では、ローパフォーマーでも高学歴だったりすると、一般職がそのフォローやサポートをさせられていて、その人の先輩、上司、同僚、部下などが四方八方から応援をすることが当たり前と考えられているという事情がある。その人の経歴に傷がつくと心配して、周囲が必死になるように人事や上長が煽り立てるのである。
産業・組織心理学では、このようなサポートをソシャル・コンボイ(social convey)という。しかし、このようなサポートを自覚し、感謝している場合は問題がないが、日本の場合、自覚もしていないし、当たり前と思い込んでいる輩も多い。そのため、勘違いが生じるし、長年の間に、社外では全く通用しない人材が育成されてしまう。日本におけるコンボイは明らかに過剰であり、自明視されているが、成果主義と整合しないなどの問題がある。
なお、コンボイとは、防衛するという意味があり、母艦の周囲を取り巻く小規模の船が原語の意味である。ソシャル・コンボイには、将来の人材、とりわけリーダーを育成するという積極的な意味合いがある。コンボイがあるからこそ、リーダー候補は積極的な挑戦をすることができ、それによってキャリア上の経験を積むこともできる。しかし、過剰になれば、リーダー育成は難しい。失敗しても周囲に責任転嫁するだけの人材を作り出してしまう。企業の不祥事もあるが、そのトップの行動を見ていると、そういう甘く育成されたリーダーという印象をぬぐえない。
本質的にはローパフォーマーでありながら、こうしたコンボイによってハイパフォーマーを自覚する人が組織内にいて、ある瞬間、組織の長になってしまう。自分自身では仕事ができるわけでもないのに、自負心だけは人一倍という人が管理者になって勃興してくるのである。こうした現象はどこの国にもあるのだが、日本の場合、特に発生しやすい。それは順送り人事があるためであり、組織内に身分制度があり、男尊女卑や学歴主義がはびこり、適任な人材が必ずしも昇格しない事情があるからである。
成果主義がこの10年ほどの間に急速に現れた。個人別に業績や成果を問いただすという人事評価の仕組みのことだったと言えよう。このような動きのために、ソシャル・コンボイは機能しなくなった。1つには成果主義が続くと、人材育成が厳しくなってしまうということである。この問題も中長期的には大きい。その意味で、いつまでも成果主義を維持していくべきか、疑問を持つ。一方、高学歴なだけでソシャル・コンボイの対象になり、常に周囲から支援されるだけで、本人自身は実績を積み上げてこなかった人材群に厳しい評価の目線が浴びせられていることは、過渡期の施策として意味があるかもしれない。
ハイパフォーマーが自信を深めて、傲慢になり、問題行動を取るようになることをディレールメント(derailment)という。ハイパフォーマーは自信過剰であり、自分本位であり、自己愛的である。時に境界例的である。また長時間働くことを好み、それに合わせられない者に対して攻撃的になる。議論を好み、相手をねじ伏せることを好む。期待基準が高く、通り一遍の成果物ではGOサインを出さずに拒絶し、仕事を平気で停滞させる。精神状態はある意味で躁状態であり、テンションが高い。しかし、本人の行動は往々にして上滑りである。
どういうわけか、企業でも大学でも、人格者ばかりが組織の頂点に上り詰めるわけではない。半数以上がこうしたハイパフォーマーであり、ディレールメントした人(derailer)である。このような人は実は自分自身が低業績ないし無業績であるということの自覚は乏しい。組織に対する寄与度は人一倍大きいと自負しているし、確かにインプットはよくしている。しかし、成果主義というアウトプット重視の価値観が出てきた背景に、そうしたインプットさえしていればいいということへのアンチテーゼが生まれてきたがあると思う。
今後の人事施策としてはどうすればいいのだろうか。
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長い目で見た人材育成のためには成果主義をどこかでやめないといけない。少なくとも成果主義の原理とソシャル・コンボイの部分をバランスさせる視点が必要になってくる。

A
ハイパフォーマーとハイポテンシャルを混同してはいけない。日本では高学歴であること、例えば、東大を出ていることなどを理由に、ソシャル・コンボイをして管理職層まで自動的に引き上げる人事を企業は長年行なってきた。しかし、高学歴に象徴されるハイポテンシャルは、ハイパフォーマーではない。入社して5年ないし10年程度の間にその人なりに試練を乗り越え、成果を出させる場面が必要である。その上で、ソシャル・コンボイの対象にすべきだろう。

B
成果主義を一旦導入した以上、職場におけるソシャル・コンボイのネットワークは脆弱化せざるを得ない。自分自身の本来業務で評価される状況では、ソシャル・コンボイに傾注することは利益にならないからである。成果主義の目線で評価する範囲を仕切り直してはどうか。将来のリーダー候補に限らず主担当になっている人を周囲がサポートするように組織デザインを考えることも必要である。

C
ハイパフォーマーをディレールメントさせてはならない。そのために、ハイパフォーマーを過剰に煽ってはいけないし、業績や成果だけ評価する仕組みを導入してはならない。もし業績や成果を過剰に重視する評価制度があるなら、それを早く撤廃すべきである。業績や成果を上げつつ、組織人としての良識ある行動を取ることが求められており、そのことを何よりも重視するというメッセージを会社として送らないといけない。業績さえ上げていれば、どんなことをしてもおおめに見るという雰囲気もなくさないといけない。

D
ローパフォーマーが誰かはっきりさせないといけない。成果主義の目的は本来そこにあるのではないだろうか。ローパフォーマーが誰かわかったら、その育成や能力開発を行なわなければならない。しかし、必ずしもそれは成功しないだろう。配転してチャンスを与えることも必要かもしれない。しかし、それも難しい場合、減給、降格、場合によっては退職勧奨してしまうことになるだろう。

E
仕事をしない人は組織に留め置かないというのが本来、成果主義だし、それは3年間ほど実施すれば、組織をスリム化することになる。したがって、成果主義は期間限定で実施すればよく、そろそろ成果主義の総括ができたのであれば、成果主義をやめてしまえばよいことになる。しかし、成果主義の目的が果たせていないなら、もう1−2年延長して、詰めを行なわなければならないだろう。
日本企業は、ハイパフォーマーにも甘いが、ローパフォーマーにも甘い。業績に大きな差があるのに、その差を認めようとしない評価が長年行なわれてきた。そこには一定の意味もあった。しかし、成果主義に飛びついたのはその現状に対する危機感からだろう。そして今は、成果主義を乗り越えて次の段階に行く時期に来ていると思う。


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