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「死の鉄道」帰りに死にかけた話(タイ)

タイと国境を接する4か国のうち、マレーシア、カンボジア、ラオスについては、バンコクから鉄道を利用して国境まで行くことができます。唯一、線路が通じていないのがミャンマー。今、ASEAN諸国のなかで最も注目されている国だけに、鉄道がもたらす経済効果は計り知れないと思うのですが。
しかし、歴史を振り返ると、わずかな期間ながら、タイからミャンマー(当時はビルマ)まで鉄路が通じていた時期があるのです。その鉄道とは、「死の鉄道」とも称された「泰緬鉄道」――。第二次大戦中に日本軍が突貫工事で完成させたものの、その工事は困難を極めました。動員された大量の捕虜がコレラやマラリアによって次々と斃(たお)れ、死屍累々の地獄絵図となったことから「死の鉄道」と呼ばれているのです。戦後、連合軍が路線の一部を撤去したため、現在は尻切れトンボのような形でバンコク(トンブリー)−ナムトク間だけが残るのみ。再び線路がつながる可能性はないのですが、最近は「観光鉄道」として注目を集めており、タイ国内で唯一、外国人料金が設定されています。

その旧泰緬鉄道(ナムトク線)に初めて乗ったのは、もう20年近く前のこと。オンボロ客車のローカル列車には、地元客以上に外国人観光客の姿が目立っていました。沿線には映画「戦場に架ける橋」の舞台となったクェー川鉄橋、断崖絶壁の隙間を5キロで徐行していく木製のアルヒルム桟道橋などの名所があり、悲惨な歴史に思いを馳せながら、貴重な「鉄道遺産」を堪能しました。ちなみに、当時、この路線で活躍していた日本製のSLは、現在は靖国神社の遊就館に展示されています。
見どころは途中のカンチャナブリー周辺に集中しているので、観光客はほぼ全員がカンチャナブリーで下車してしまいます。ここから終点のナムトクまでは、「観光鉄道」ではないローカル線の雰囲気に。ガラガラになった列車に揺られ、南国ムードあふれる緑豊かな大自然を眺めているうち、終点のナムトクに到着したのですが、そこは本当に何もない終着駅(というより行き止まり駅といった感じ)で、ホームの先端に立ち、ミャンマーへのルートを想像するほかありませんでした。

折り返しの列車でバンコクに戻ると、西の空に真っ赤な夕陽が沈みかけていました。夜になっても蒸し暑いバンコク、寒さを感じるはずなどないのですが、どうも身体の具合が尋常ではありません。激しい悪寒と倦怠感に襲われ、とうとう歩くこともできなくなり、道端にへたり込んでしまいました。おそらく、かなりの高熱が出ているのでしょう。少し動くだけでも辛いものの、とりあえず近くのホテルまでは移動しなければなりません。意を決し、ヨロヨロと立ち上がると、そんな僕の様子を見ていたタクシー運転手が「とにかく乗れ」と声をかけてきました。こういう場合、言われるがままに乗ってしまうのは危険というのが旅の鉄則です。しかし、そのときは正常な判断もできず、「どこか近くのホテルへ」とだけ告げ、後部座席に転がり込みました。
正直、その後の記憶は定かではありません。運転手が心配して部屋まで付き添ってくれたこと、丸2日間ベッドで寝続けていたこと、ホテルのスタッフが薬を飲ませてくれたこと、「カーオ・トム」というお粥と水を運んできてくれたこと――断片的に思い出すのは、ほんのわずかな場面だけで、記憶喪失と変わらない感覚でした。

なぜ急に高熱に見舞われたのか、今もって原因は謎です。このときは初めてのタイ。海外自体、韓国以外は初めてだったので、緊張感と疲労がピークに達していたのかも知れません。
タクシー運転手やホテルのスタッフが親切な人だったのは、幸運というほかないでしょう。意識朦朧の旅慣れぬ若い日本人から金品を巻き上げることなど、いとも簡単な状況だったのですから。
ほとんどのタイ人は善良とはいえ、無論、悪い連中もいます。事実、この旅の後半には、パスポートを盗まれるという大変なトラブルに遭遇しました。パスポート盗難事件については、いずれ改めてお話したいと思います。
これだけの洗礼を受けながら、20年後の今までタイに通い続けているのは、苦い経験を補って余りあるほどタイに魅力を感じているから。その後は病気ともトラブルとも無縁ですが、毎回、「慢心してはいけない」と気を引き締めています。

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