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第7回
「やらされる」か、「やりたいからやる」か。― 自由と余裕がもたらす「やる気」
幼い頃から私は、「やりなさい」と人に言われると、すっかりやる気を失い、何がなんでもやりたくなくなってしまうという少々捻くれた性格だった。中でも一番の禁句だったのが、「勉強しなさい」。その代わり、自分自身がやりたいと思ったことは貫き通し、実行に移してきた。

「強制しても雄鶏は鳴かない」こんなフィンランドの言い回しを、聞いたことがある。「そもそも鳥のさえずりとは無理に鳴かせるものではない」という意味合いも含めたこの言い回しが、実に上手く教育に対するフィンランドの考えを表していると、私は思う。「勉強は、強制されてするものではない」と、大人も子どもも口を揃えて言うし、もし誰かが机に向かわせようとするなら、それは自分自身だ、とも彼らは言う。「勉強するのは、自分のため」「自分がいろいろなことを知りたいから」そういった声をよく耳にする。自分自身で決めた自分の目的が見えていれば、進行方向に迷いもないし、躊躇いもない。確かに、エネルギーをすでに持っている人のお尻を、他人が叩く必要などまるでないだろう。

やる気が持続するように、基本的にフィンランドの学校では、自分の興味に沿った勉強ができる。高校でも大学でも、約半数のコースをほとんど制限なく自由に選択することになっている。高校では、科目に関係なくおもしろそうなコースは好きに選べるし、もし他の高校に興味深いコースがあれば、その授業の時だけ他校に通って参加することすら可能だ。大学でも、生物学を専攻している私は地理学や数学、化学など、他の理系の学部のコースを断りなしに取ることができる。文系など、自分の専攻とは全く異なる分野になると、許可を得る必要があるが、同じ大学に所属していれば、どの学部のコースにも参加できる権利が一応あるようだ。いろいろな分野に手を出していると、途中で興味の対象が変わりそうなものだが、そういった場合にも、もちろんきちんと対応しており、大学で専攻科目を変更することも比較的難しくない。大抵の人は高校生の頃にいろいろな科目を自由に取り、興味の対象を見つけることができるので、実際のところ大学に入ってから専攻を変える人はそう多くはない。だが、万が一の方法があるということを知っているだけでも、とても安心できる。

フィンランドでは焦ることなく、自分自身とゆっくり向き合い、自分が本当は何をしたいのかを真剣に考えることが容易にでき、そうすることが一人ひとりの任務とも言える。そうして必要な時間をかけて「自分にぴったりの何か」を見つけ出すことができれば、それに関連する勉強をする時はもちろんのこと、自分の専門の職業に就いた後も、人々は生きがいを持ち続けることができるだろう。そんな余裕と自由が、人のモチベーションを上げ、キープする。それは生徒だけに限ったことではなく、自分独自のアイデアやメソッドを活かす自由が与えられている小中学校や高校の先生にも、同じことが言える。

自分の意思とは反対に、やりたくないことを無理やりやらされている。そんな意識が拭えない状態で、勉強や仕事の効率を上げるには限界がある。やる気とは、本来強制とも我慢とも無縁の状態で、内側からみなぎってくるはずの気持ちなのだ。これからは、「やらされる」のではなく、「やりたいからやる」にすべてを変えていく必要があるだろう。そのためにはやはり、やりたいことをやらなければ。


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