各界の一言居士のみなさんに、日本を、企業を、そして我々ビジネスマンを“よく”するために、
“最近アタマにきていること”を、リレーで綴っていただくコーナーです。
◇第11回のゲストは株式会社ACCESS 
代表取締役社長 荒川 亨(あらかわ とおる)氏

(略歴)
1977年  東京電機大学入学。(84年中退)
1979年 19歳でマイコンのプログラミングを行う事務所「荒川設計事務所」設立。
1984年2月  以後パートナーとなる鎌田富久(現(株)ACCESS副社長。当時は東大大学院生)とともに(有)アクセス設立。代表取締役に就任し、「日本発のオリジナルソフトを広く世界に」を目標に掲げ邁進。
1996年11月 同社を株式会社に改組して代表取締役に就任、現在に至る。
(株)ACCESS:
情報家電向け組込み型インターネットの分野において市場をリードする研究開発型企業。米国ベンチャーキャピタルから出資を受けるなど、海外からも高い評価を受ける。2001年2月26日に、東証マザーズに上場。ブラウザソフト「NetFront」「Compact NetFront」は、携帯電話、PDA、ゲーム機、Lモード、カーナビ、デジタルTVなど国内外のメーカーの製品に多く搭載されており、搭載製品の累計は230製品、9220万台以上(2003年5月現在)となっている。アメリカ、ドイツ、中国に現地法人を、スペイン、フランス、イタリア、韓国、台湾、ブラジルにも事務所を開設、海外での展開にも力を入れている。
日本の景気は、「企業業績のV字回復」などという言葉が一部で踊り始めたが、株価上昇も含め本格的な景気回復へのシナリオにはまだモヤがかかっているし、あまり実感もない。一方社会と個人という視点では、青少年の凄惨な犯罪が頻発し、「親、地域社会、学校、先生、教育、責任感、人生観…」など、社会を構成し個人を取巻く環境や価値観が総崩れになっている。出口のない袋小路に迷い込んだ感覚すらある。
ちょっと大袈裟だが、日本の企業、社会そして個人みんなが自信を失っているようだ。

自信喪失の原因は何なのか。思うに、みんな失敗したくないのだ。裏を返せば、本気で成功したいと思っていないのではないだろうか。だから、何事も及び腰でその場しのぎの一過性の行動パターンになる。失敗のない成功はないのに。本気でないのだから、じっくり取組むはずがないし、自信など生まれるはずがない。

一方で、未来に向けて希望を持って、今何をなすべきかを“考え抜くひたむきな努力”をする人(私はこれを修行や訓練に近いものだと思っている)は、自ずと自分自身の中に規範が作られていく。この規範は、いろいろなことを判断する上での原点となる。そして、自信の源になるものだ。

人間は自信がないと、強い相手には「媚びる」。なぜなら、嫌われたくないから。逆に、弱い相手には「奢る」。誰もが持つ虚栄心が頭をもたげるから。様々な局面での我々の対応が、「媚びる」と「奢る」の両極端になってしまっているのではと感じる。まさしくこのことが、日本の閉塞感の元凶になっているのではないか。

私は持論として、「日本市場は成熟社会に向けたマーケティング上最高の実験場」と認識している。なぜならそれは、@教育や所得面でも高い一億人を越える人口A通信インフラを含めた社会インフラが整備B強い製造業が健在、という3条件を満たすからだ。モノ作り・サービスの仕組み作りには最高のマーケットだ。日本での成功体験は貴重な経験でありデータだろう。大きなアドバンテージであるはずだ。

であるにもかかわらず、いざ日本から海外市場へと向き合う時、どういうわけか自信の原点である規範がぶれてしまう。例えば、ある地域ではA社の存在が大きいというだけで、最初から2番手3番手しか狙わない=「媚びる」てしまう。また別の国ではB社があるが、技術力が劣るとする。すると、遅れているんだからと思い込んで、十分なサーベイもせず参入を決め進む=「奢り」が見え隠れする。そしてプラン通りには展開しない現実に直面する。

日本人は、日本は他の国とは違うんだということを、良い意味でも悪い意味でも意識しすぎではないだろうか。だから、日本での成功が必ずしも海外での成功に繋がらないのだと思う。「自分の足元を冷静に見よう!」「再度、“日本発の○○○”を増やそうよ」と言いたくなる昨今である。

転じて、個人や社会に目を向けよう。まず、父親/母親はどうだろう。自分の子供に対して甘やかす(媚びる)か、躾とは異なる押し付けがましい感情的指導(奢り)をしているケースが少なくないと思っている。本当の躾とは、感情を抑制した冷静さで取組む真剣勝負(我慢)ではないだろうか。教育の現場である学校の先生も、「でもしか先生」が多く、生徒と真剣に向かい合わない。これは媚びているのと同じだ。理想という原点が無いから、その場その場の対応しかできないのだろう。

「媚びる」や「奢る」とは違う、冷静で真剣で何か腹を括ったような強い存在感が伝わってくる人とはどんな人だろう。昔は家庭でも地域社会でも、子供の面倒を見てくれて、時にはキッチリ叱ってくれる“頑固おやじ”の存在があった。全体が見渡せて、嫌われ役という「我慢」を伴う役割行動もできる“頑固おやじ”は、怖いけど頼りになる存在だった。よく考えてみると会社にも“頑固おやじ”はいた。彼らは彼らなりに孤独を感じていたのだろうが、そのひたむきさや言い訳をしないスタンスは、先に述べた“考え抜くひたむきな努力”に通ずるものがあると思う。

ひょっとして、彼らはカッコつけている自分も意識していたのかもしれない。

私はそんな“頑固おやじ”をカッコいいと思っている“頑固おやじを目指す男”の一人である。だから、要領よく生きることが良いことだと考えること自体腹立たしいし、オイシイ所だけに顔を出して楽をしている人を見ていると、怒りが込み上げてくる。一方で、まじめにやっているだけで、結果が出なくても平気な人も問題。結果につながらない単なるまじめさは、言い訳しているのに過ぎないということをどれくらいの人が理解しているだろうか。

最後に、
そろそろマインドチェンジをして、自信や信念を持った言動、生き方をしよう!
●「理想の未来」から「現在」を考える。「現状」を、色メガネをかけずに認識する。
●その上で、「今、未来のためになさなければならないこと」を行なう。
●たとえ、「ヤセ我慢」であっても、それが自分の役割であるなら、言い訳をしない。

こんな風になれたらいいな・・・。


back next
東京都千代田区飯田橋4-4-15 Tel:03-3263-4474  Copyright (C) 2012 IEC. All Rights Reserved