君子は豹変す

立派な人物であるほど、自分が誤っていることが分かれば、きっぱりと言動を変えます。過去のことにとらわれたり、アドバイスしてくれた人のことをうらんだりすることなく、スッキリした形で、変身することができるのです。

 易経の原文をたどると、「君子豹変、小人革面」とあり、「立派な人物は、自分が誤っていると分かれば、豹の皮の斑点が、黒と黄ではっきりしているように、心を入れ変え、行動の上でも変化がみられるようになる。反対に、つまらぬ人間の場合は、表面上は変えたように見えても、内容は全然変わっていない」と述べています。
 現代ではややニュアンスを変えて、「誤りに気づいたら、素早く今までの意見を改めたり、行動のパターンを転換してよい」という教訓として受け取っています。
 また、場合によっては、勝手に解釈して「融通無碍」に変節したり、前言を翻した場合にさえ、この格言を濫用しているようです。

 「君子は豹変する」という教えは、変化し揺れ動いている現代社会に当てはめてみた場合、新しい意味を持ち、応用の範囲がひろくなっています。
 現代社会の特徴の一つは 価値観の多様化であり、さらには価値基準の変革ではないでしょうか。
 たとえば、「真理の探究」や「真実一路」の求道精神は最も高い美徳として考えられてきました。孔子は、論語のなかで、「朝に道を聞かば、タペに死とも可なり」と述べ、真理の探究に人生を捧げるその学究的な姿勢こそが、最高の人生航路の指針であると教えたのでした。
 もちろん現代でも、真摯な態度で真理を追求することの大切さは変わっていませんが、真理そのものが相対化し、複数の真理が見いだされるようなことになると、あまりに一途な姿勢では、世の中がうまく渡れず、良好な人間関係を全うすることができなくなるのではないでしょうか。
 とくに、過度の正確さや緻密さは美徳というよりも、かえって、人との交わりを円滑にしずらくする要因になっていることが多くみられるようです。時代が複雑になってきますと、大人の対応も是非とも身に付けなければならない訳です。

 現代の科学が、ミクロの微細な側面でも、マクロの巨視面な分野でも、次々と新しく展開されているように、真理は多様化してきていると考えてよいでしょう。
 わが国の故事も新しい意味付けを持ってきましたし、過去聖人君子がいろいろの説を述べてきましたが、それぞれが真理であり、どれが正しく、どれが誤っているなどということは、一概にはいえないと認識しなおす必要があります。
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