人と屏風は直ぐには立たず

ひととびょうぶはすぐにはたたず・・・・・
真面目、正直一方の人で、曲がったことはすべてきらいという人物は、この世で暮らしていくことが難しいといえます。ゆとりをもっている方が暮らしやすいのです。

  犀風は、直線の状態を両側に延ばしてしまうと立てることはできません。折りまげてひだを作るようにすれば立つものなのです。このように人間の生き方も、まっとうなことに強く執着すると立っておれなくなるものですから、自らを折りまげることも考慮に入れるようにしたいものです。

しかし、出典を読んでみるとややニュアンスが違うようです。
鎌倉中期の説話集「古今著聞集」のなかの説話によれば、為輔中納言口伝の教えとして「人の余りにうるわしくなりぬれば、之保たず。犀風のように、ひだのあるさまなれば、実がうるわしさが保つなり」となっています。意訳すると、次のようになります。「人間はあまりにビューティフルになってしまうとコケてしまうかもしれません。少しかげりのある方が、ほんとうにウツクシイ状態が保てます。」こちらの方は、曲がったことをしないと生きていけないというのではなく、真の美しきを維持する生き方のアドバイスになっています。いずれにしても日本人らしい味わいのある諺といえます。

「正直は一生の宝」とか、「正直の頭に神宿る」などの教えもあり、小学生・中学生の時、母親から、「お前、嘘をついてはいけないよ。神様の罰があたるから」などと諭されたことを思い起こします。
この教訓は、社会人になって数年たったころからだんだん実行不可能になっていったようです。つまり、正直一本やりですごしていくと、人間関係は円滑に行かないばかりか、いろいろの障害を起こすことが分かってくるからです。
つまり、「嘘も方便」の方が、真理であり、夏目漱石ではありませんが、「知に働けば角がたつ」というように、理性ばかりに頼って、正しいと思うことを、一途にすすめると、角が立って、人と折り合って行くことが難しいということを知るからです。
これは、決して「人生を正直に送るな」ということを意味していません。正直であることは、もちろん美徳であり、人生を送るうえにはもっとも大切な道徳の一つです。

しかし、真実をふりまわすことは、時として人を痛めつける結果になったり、迷惑になることが少なくないのです。「自分だけが正しく、まっとうであればよい」と考えるのもどうかと思います。
上司の機嫌を取るために嘘をいって気に入られようとしたり、事実を曲げて報告するなどは決して誉められる方法ではなく、最終的に良好な結果につながるとはいえません。しかし、本人にも組織にもプラスであるという結果が明白ならば、多少粉飾してても許されるでしょう。

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