堆敲

詩文の字句についてよく練り、最も適当なものを見出すことです。感じた事を表現するためには、いろいろな字句やたとえがあります。その中でどれがピツタリと合うのかを考えてみることは、詩人や文筆家だけでなく、一般にも求められることでしょう。

 「唐詩紀事」に次のように綬られています。
 居の詩人賈島が、ロバに乗って散策しながら、興がのって詩を作りはじめました。はじめの三句まではスラスラとできたのですが、次の句を『僧は推す月下の門』とするか『僧は敲く』にしようか、迷ったまま物思いに耽けっているうち、我を忘れて、都の高官で一流の文学者であった韓愈の行列に突っこんでしまいました。護衛の者が賈島を捕えて韓愈の前にひきたてたところ、賈島はよく事情を説明してお詫びしました。韓愈はもちろん許したのみならず、熟慮した上で、『それは、君、敲(たた)くの方がいいよ』と意見を述べたとのことです。これが緑で二人は無二の親友になったのでした。

 私どもには「推す」でなく「敲く」の方がなぜよいのか分かりませんが、要するに詩文の字句の選定に打ち込んでいる詩人の作業を「推敲」と表現したものです。
詩や文章のなかの一字がいかに大切かを表わす故事としては、他に「一字千金」というのがあります。

これは「史記・呂不韋列伝」に見えるものです。秦の呂不韋が呂氏春秋著わしたとき「一字でも添削できるものがあれば一字につき千金を支払う」といって懸賞金をかけたという逸話が出典とされています。文章が立派だったこともあり、懸賞に応募する人は現れなかったとのことです。他に、同じように一字を尊重した逸話としては、鄭国という詩の先生の話が「唐詩紀事」の中にあります。

 鄭国は、僧斉己の作に「早春の梅、数枝開く」とあったのを読んで、「これは数技でなく一枝開くの方がよい」とコメントしたのでした。それを聞いて斉己は庭におり、頭を下げ、お礼を言うとともに鄭谷を先生として敬まった……というものです。

 いずれも、中国の故事でやや古い話であるため、私たちの日常の生活に関係のないように見えますが、文章の中の一字の違いが大きな差を作ることに注意しましょう。

 お世話になった先輩、上司には、すぐに礼状を出さなければなりませんが、通り一ペんの語句を並べるだけでなく、心のこもった一語がほしいものです。またビジネスでの詫び状などの文章を作るときにも、このことはあてはまります。 最近では、「キャッチフレーズ」など、うまい一語を考えつくことが「千金」どころでなく、ミリオンセラーを生む原因にもなるようです。

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