任重くして道遠し


にんおもくしてみちとおし・・・・・
人の生きる道について、究極的なあり方をもとめて、理想を追うということは、並大抵のことではありません。その道は、果てしなく遠いものだという意味です。

 「論語・泰伯」にでてくる孔子の高弟であった曽子の言葉です。徳ひと いつしょう おもに川家康の「人の一生は、重き荷を負いて……」はこの語句から生れたものといわれています。
「論語」にある曽子の言葉をもう少し追ってみますと、「士は以って弘毅ならざるべからず。任重くして道遠し。仁以って己が任となす、亦重からずや。死してのち己む、亦遠からずや」とあります。
「志のある人間は、気性が強く広い視界を持っていなければなりません。その理想とする姿を追究するのはなかなか道のりが違いのです。最高の徳である仁を自分の目的とするのですから、任は重いといえましょう。死ぬまでその努力を続けるのですから、ずいぶん遠い道です」ということです。
曽子は孔子の弟子のなかでとくに真面目な方でしたから、わたしどもがそのまま受けとるには堅苦しすぎます。一方、徳川家康の家訓の方は、「・‥遠き道を行くがごとし、急ぐべからず」となっていて、日常生活に結びついた教訓となっています。

旅と人生を結びつけた訓言は数ありますが、家康の言葉にもあるように、旅も人生も荷が重すぎるのはよろしくないようです。また、曽子のようにあまり堅苦しいのも考えものでしょう。曽子は親孝行で有名な人で、「孝経」という親孝行を説いた本の手本になっているといわれます。
日本では、真面目一辺倒より、ひょうきんにユーモア化した訓えを好む傾向があり、「孝経で親の頭を打つ親不幸」などが川柳にあります。

現代社会は、真理を追うのも、仕事をするのも、一人でするには、あまりに複雑すぎ、また量が多すぎます。
そんなとき、周囲を見れば、まず、伴侶がおり、子供や親族があり、そして心を許せる友人がいることに気付きます。行き詰まったり、大きな事故に遇ったとき、一人ではどうにもならないことでも、その荷を共同してかつげば軽くなる筈です。

また、旅先でピンチに陥ったとき、土地の人に思わぬ厚い情をかけられて救われることもあります。
先年京都の北部、常照皇寺というお寺に参詣したとき、紅葉の頃というのに猛烈な寒波に遭って、私ども夫婦の乗ったバスが道で立往生したことがありました。その時、土地のカメラマンの自動車に拾っていただき、人の情をしみじみと味わいました。
たとえば、よく耳にするものとしては、「旅は道ずれ世は情け」などがあります。
旅も人生も、人の情を味い噛みしめながら、同行の人と苦難を共に歩むのがよいと考えます。

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