塞翁が馬

さいおうがうま・・・・・
人生における幸不幸は、思いがけなく変化して予想がつきにくいものです。一時の幸運や不幸で一喜一憂せずに、なり行きを辛抱強く待つことが肝要です。

 出典は「准南子・人間訓」にでてくるストーリーです。
 中国北部の国境に近い砦のある町に、占いの上手な老人が住んでいました。この老人の馬が、理由もなく砦の外へ逃げてしまいました。ところが老人は、気の毒に思いなぐさめてくれた人びとに向かい『これはきっと幸いがくるにちがいありませんよ』といいました。数ヶ日後、逃げた馬は北の隣国の良馬をつれて帰ってきました。
すると老人は『これは、禍のもとになるかも知れませんよ』といいました。

この予言どおり、息子がこの良馬に乗っているうちに落馬して足を折ってしまいました。ところがまたもや老人は、この事故が福につながるといい、やがて戦争がはじまり、村の若者が徴兵されて戦死した人が続出したとき、この息子は足が悪いために戦争に行くことをまぬがれ生き残ったのでした。

准南子は、この話の最後に「化極むべからず、深測るべからず」と結び、人生の変化は予測がつかないものであり、また深いものであると述べています。

日本のことわざの「禍福は糾える縄のごとし」は、不幸があっても落胆せず、またよいことがあっても、喜んで有頂天になってはいけないと教えているのです。幸と不幸は、縄を編んだように交互に絡みあっているものであるから、長い目で人生を見ることが肝要です。

「深測るべからず」というのは、「人生は深みのあるものです」ということですが、わたしどもの身辺にも現実に思いあたるような事例が、数々あります。たとえば、自分を重用してくれていた重役が急死したため、キャリア・パスが狂い、窓際に追いやられ、「髀肉の嘆」(手柄を立てられず、ただ時日の過ぎるのを嘆くこと)をかこっていたところ、ある日突然、会社の首脳陣の不祥事件が発覚し、冷や飯組に陽があたるようになり、再び会社の重要ポストに返り咲いた……などというケースです。

競馬・競輪などで大穴を当てて、まとまった金がはいったために、ハデな遊びを覚えてしまったというようなことも時々聞きます。くじで巨額の金を手に入れるということは、幸運にはちがいないのですが、そのために人生をすっかりスポイルしてしまった、などと東西で共通した話題となっています。

結論として、「人生の変化は変転して極まりないものであるし、運不運のめぐり合わせということを考えるとなかなか深みのあるものである」と感じます。自分の人生を豊かにする前提としては、ある程度の楽観した態度も必要ではないでしょうか。


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