第7回:異国で歴史を学ぶのも悪くない
 ロンドンに来る前、3年間ノーウウェスタン大学にいました。アルバイトでティーチング・アシスタントとして日本史を教えていました。最近、中国での反日運動を見て、ノースウェスタンでの歴史の授業を思い出しました。

 ティーチング・アシスタントは、学部の授業のお手伝いです。教授の授業が1週間に2回あります。これは完全な授業形式です。教授がティーチングをし、生徒はノートをとります。この授業に加えて、週に1回、ティーチング・アシスタントによるディスカッション・セッションがあります。このセッションは、学生は20人ぐらいのグループに分けられ、それぞれのグループが授業の内容についてディスカッションするのです。ティーチング・アシスタントはそのディスカッションの進行役のようなものです。


 このティーチング・アシスタントの仕事は大変でしたが、とても楽しかったです。英語で授業をするというのはとても大変でした。相手は全て英語のネイティブ・スピーカーです。アメリカの学部生との大きな接点になったことはとても楽しかったです。彼らの生活や、考え方に直接触れられました。

 このティーチング・アシスタントとしての経験の中で、興味深かったのはアメリカで教えられていた日本史の内容でした。これまで教えられてこなかった日本史がそこにたくさんあったのです。例えば、明治政府がわざわざ法律で同性愛を禁じたことなどはまったく知りませんでした(同性愛がトピックになること自体、アメリカ的ではありますが)。また、江戸時代以前は、庶民は天皇の存在についてはほとんど関心がなく、「天皇」は明治政府によって戦略的に創りだされたことなどは驚きでした。

 日本で教えられている歴史と大きく異なるのは、その歴史観でした。例えば、日本の歴史教育では広島・長崎の原爆に多くの注目が当てられます。また、宮崎駿の「火垂るの墓」などの戦後の混乱に焦点を当てるフィルムもかなり使われています。ただし、広島・長崎は重要ですが、第二次大戦のトピックはそれだけではありません。タイや中国、満州での日本軍についてはほとんど触れられません。これは、あたかも、日本は空襲を受け、原爆を落とされた戦争の被害者であるかのような印象を与えかねません。その側面だけが強調されてしまい、加害者であった側面は小さくなってしまいます。アメリカの日本史の授業では、広島・長崎のドキュメンタリーだけでなく、日本軍が南京で何をしたのかについてのドキュメンタリーも使っていました。

 歴史教育では被害者意識が巧妙に使われることがあります。もちろん、これは日本だけではありません。ほとんどの国の歴史教育は多かれ少なかれこの側面はあります。中国でもそうでしょうし、アメリカでもイギリスでもそうです。真珠湾攻撃は今でも被害者意識をかき立てる歴史的な出来事です。この「被害者意識」は、それを意識した瞬間に、「加害者」に転じる可能性があります。自分の国で教えられている歴史によって育まれた歴史観だけに頼ると、バランスを欠いた判断が生まれてしまうかもしれません。

 自分の国以外で自分の国の歴史を学ぶと、被害者意識からは比較的自由になります。また、自分が教えられてこなかった歴史や、違った歴史観がそこにはあります。よく、「留学に行くのだから、日本の歴史ぐらいは勉強して行け」といわれます。たしかに、日本の歴史を聞かれて答えられないと、それは恥ずかしいことでしょう。

ただ、日本で教えられた歴史に固執せずに、チャンスがあれば、海外で日本史のクラスをとってみるのも面白いです。知らない日本が見えてくるはずです。留学しなくとも、他の国で出版されている日本の歴史についての本を読んでみるだけでも良いかもしれません。今までにない歴史観があるかもしれません。それを受け入れるかどうかは別の話ですが、違う歴史観は、自分の歴史観をも豊かにしてくれると思います。

株式会社アイ・イーシー 東京都千代田区飯田橋4-4-15
All Rights Reserved by IEC
本サイトのコンテンツの無断転載を禁止します