第21回:アメリカ、イギリス、日本の空気
 日本は残念ながら敗退してしまいましたが、ワールドカップは盛り上がりを増しています。ロンドンのパブでは、おなかの出たオジサンや、ニートな若者たち、移民の人たちがビールを片手にサッカーを見て一喜一憂しています。勝っても、負けても酔っ払い、大声で叫び、そこら中にオシッコをしています。

イギリス人はスポーツが好きです。サッカー、ゴルフ、クリケット、テニス、ボクシング、乗馬、ラグビー、ダーツ、スヌーカー(ビリヤードの仲間)などなど、テレビをつけると、いつも何かのスポーツがやっています。酔っ払いと子供はサッカーに、ほんとのお金持ちはポロに、青空の似合わない人たちはダーツやスヌーカーに、いつも誰かが熱狂しています。

スポーツは、芸能人のゴシップとともにいつも大衆紙をにぎわしています。自国の選手やチームにたいして過剰な期待はどんどん膨らんでいきます。世界ランキングが10〜20位ぐらいのイギリス人テニスプレーヤに毎年ウィンブルドン制覇を期待しています。もちろん、自分の国の選手やチームに対する期待が過剰になるのは、イギリスばかりではありません。アメリカでも日本でもどこでも同じです。ただ、報道の内容とそれに対する人々の反応を見てみると、アメリカ、イギリス、日本では「空気」に少し違いがあるようです。

アメリカのスポーツ報道はイケイケ・ドンドンなものが多いのですが、人々は好き勝手なことを言い、あまりコンセンサスもありません。イギリスは自国の選手・チームには大きな期待を寄せてはいるものの、懐疑的、悲観的な空気があります。たとえば、「イングランドは絶対勝てると思う。」と公言するのはどこか気が引けるというような雰囲気が常にどこかにあります。多くのスポーツ発祥の地だというのに、最近では全く勝てないので、悔し紛れに皮肉をいうしかなくなっているのかもしれません。

日本は、「自国の選手・チームの勝ちを信じて応援しましょう!」という報道が多いような気がします。「勝ちを信じて応援するのが日本人としての正しい観戦の仕方」という「空気」ができ、「いやー。そうはいっても、日本はぼろ負けだと思うよ」などとは決して言えません。そう思っていたとしても、決して口に出せる「空気」ではないのです。

「空気」。「空気を読む」のはみんなとうまくやっていくすべであり、「空気」の中にいて、その「空気」にしたがっていると、気持ち良いし、連帯感を感じたりもします。アメリカでは、空気を読むというよりも、みんな好きなことを好きなときに自由に言います。そもそも「空気を読む」という感覚もありません。イギリス人は、ある「空気」にたいして悲観的、皮肉的なことをどうしても言いたくなるようです。もちろん、パブで「イングランドはきっと次で負けるんじゃない?」などといったら、すぐにビールで殴られるでしょう。オシッコもかけられるかもしれません。ただ、それはあくまでも「空気」がそうさせているわけではありません。彼らは本当にそう思っているのです。

スポーツに限らず、日本では「空気を読む」ことを通じた「和」にたいする圧力が強い。良い面も悪い面もあるでしょう。ただ、イギリスの懐疑的で悲観的な報道を見ていると、日本のスポーツ報道はどこか冷静さと客観性を欠いた「空気」を生み出しているような気がします。イギリスほど皮肉になってしまっては困りますが、もう少しいろいろな報道があっても楽しい気がします。いろんな人がいろんなことを言う、時には水を差したり、批判をしたり、いろんな意見があるという多様性は楽しいですよ。
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