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創考喜楽

先人の知恵を拝借 故事百選 坂本宇一郎 著

越俎の罪

えっそのつみ・・・・・
自分の職責を越えて、他人の仕事にまで口をはさんだり、担当外のことまで手だしをするなど、越権行為をしたことによる罪のことをいいます。

 「荘子・逍遥遊」に載っている文章、「庖人、庖を治めずといえども、尸祝、樽爼を越えて、これに代らず」からの引用です。

 

「庖人」は料理人を指し、「尸祝」は神主のことを意味します。大意は、次のようになりましょう。
「料理人が、神に捧げるご馳走を上手に造らなくても、神主がこれにとやかくいうことはできない。神主は、酒樽のことや、神にまつる供物台のことが自分の職分の範囲ですが、それを超えて行為をすることになれば、それは越権行為ということになるのです」

 

中国古代の伝説で、天子の尭が天下を譲るとき、譲位の申し出を聞いた許由が述べた言葉として伝えられています。許由が、自分には天下を治める能力がなく、また職位を受ける資格もない、ということを比喩で示したものです。現在では、他人の職分をおかしたり自分の職務でもないのに立ち入って干渉したりすることの罪を表現するようになっています。ちなみに尭、舜、禹などの皇帝は伝説上の人物であり、実在したかどうか不明です。

 

この故事によって、古代中国社会が、分業制をとっていて、その職域をお互いに守っていたことが分かります。また、能力によって職務権限がきまっていたようで、許由は、「その任にあらず」と辞退したと記されているのです。王位を譲るということは一国の重大事項であり、世襲によって王家の血筋の者が帝位を継ぐということが多いなかで、中国では能力がなく徳のない者から、実力者が王位を奪う「易姓革命」が認められていたようです。

 

さて、この事例をわが国の現代社会にあてはめた場合、「越爼の罪」が「罪」であるということに疑問が生じます。あまりに職務分担にこだわりすぎることはセクショナリズムとなり、自分の職域から一歩も踏み出せないことになります。特にこの弊害が指摘されるようになったのは官僚制度についてのようです。
災害発生時に、自衛隊、警察、消防さらに、政府、県、市町村などの役所の権限や職分があまりに明確化されているために、市民保護という観点でみると、大きく欠陥が目立ったとのことです。

 

企業活動という点からみますと、職務分析を明確にして、仕事の内容によって給料を支払う、職務給制”Pay for job”の考えがあると同時に、職務や極限を超えて、自由な立場で業務活動をすることを目標にするというセクショナリズム打破の方向も見られます。いずれも一長一短といえましょう。

 

越俎の罪