「なぜ勉強しなければならないのか?」という子供からの質問には古今東西、様々な答えがあります。中には「面白い人になるため」「魔法が使えるようになるため」のように聞くだけで勉強したくなるような素晴らしい答えがありますが、困ったことに私の場合はそういった気の利いたことが言えません。しかしだからといって「将来いい大学に入って、大企業に就職し、安定した生活を手にいれるため」と子供達に言ったところで、彼らの心には響かない気がします。そこで私はいつもある計算結果を子供達に示します。それが勉強の時給です。

 

東大に合格した人の受験学年での平均学習時間(学校での学習を除く)を調べてみると、平日が5時間、休日で10時間くらいだそうです。これをもとに1年を平日195日、休日160日として学習時間を計算してみると年間2675時間になります。そこで東大に合格するために必要となる平均的な年間学習量を小学4~6年生で2000時間、中学1−3年で2200時間、高校1~3年で2500時間と仮定してみると、9年間の学習時間の合計は約20000時間となります(実際にはもっと少ないと考えられます)。この20000時間の勉強には果たしてどれほどの価値があるでしょうか?

 

 日本経済新聞社が発表したデータによると東大生の生涯年収が約4億6000万、大卒平均が約2億8000万とあり、 その差は1億8000万となります。仮に大学生になるまでの勉強量がこの1億8000万の差額を生んだとすれば、子供のときの1時間あたりの勉強の価値は1億8000万/2万時間=9000円と言えるでしょう。実際には全く勉強しなかった人の平均的な生涯年収はもっと低く出るはずですので、その価値は1万円を優に超えるはずです。もちろん勉強だけで生涯年収が決まるわけではありませんし、個人差がありますが、アベレージとして計算すると子供の勉強の時給は少なく見積もっても1万円以上と言えるのです。

 

「もし今週日曜日10時間勉強して10万円もらえるとしたら、君たちはどうしますか?時給1万円というのは、有名大企業の社員や医者の一般的な時給を遥かに超える金額です。金銭面において君たちが勉強することにはそれだけの価値がある。その価値を知った上で勉強するかどうか自分で判断すればいい」と私が言うと、時給1万円という数値に、子供達は驚きの表情を見せます。もしもあなたが子供に勉強してほしいと思ったとき、こんな話をしてみるのも一つの手かもしれませんね。

 

さて大人の場合はというと、勉強の時間対効果は年齢が上がるにつれて下がっていくことが教育の世界では知られているので、時給1万とまではいかないかもしれません。しかしそもそも学ぶことの恩恵は金銭面だけではありません。そこには数学的に表せない価値もたくさん存在しています。

 

私が大学生のとき、ふとクラシックを聴いてみようと思いました。それでとりあえず有名な曲を手当たり次第聴いてみるのですが、どれだけ聴いても面白くも何ともありません。最初は自分にはクラシックは合わないんじゃないかと思いましたが、その内にもしかしたらクラシックを聴くのに必要なものが自分には欠けているのかもしれないと考えるようになりました。

 

そこでクラシックの入門書をはじめ、歴史、作曲家、指揮者に至るまで、とにかくクラシックに関係する本を購入して読み漁りました。するといつの間にかクラシックが以前ほどストレスフルなものではなくなり、ちょっとした移動時間なんかにも聴いてみようと思えるようになりました。嵐の夜には不思議とドビュッシーの「月の光」を聞きたくなります。

 

だけど本当に良かったことはクラシックを聴けるようになったことではありません。それは童謡「ふるさと」が3拍子の曲だと気づけたこと、オーストリア旅行がとても楽しかったこと、クラシックオタクの友人ができたことだったりします。

 

そして新しいことを学ぶということは、例えばそういうことだろうと思うのです。お金のために学ぶことも、もちろんそれはそれで必要なことですが、そんなことを考えながら学ぶのは少し窮屈な感じがします。せっかく大人になって5教科も必修科目もないのだから、もっと自由に学びたいものです。

 

学びとは本来、興味が先立つものです。もしも私の書いたものがきっかけで一人でも数学に興味を持ち、新たに学んでみようと思ってもらえたらなら、なかなか素敵なことだと思います。あなたにとっての数学が私にとってのクラシックのようなものになるといいですね。

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