毎月15日発行
3回:知識を生み出そう

アメリカ人は、サッカーには興味がない、ポップコーンはバケツで食べる、スモールというサイズがない、ソニーはアメリカの会社だと思っている、などアメリカ人と日本人の違いには枚挙に暇がありません。そのため、アメリカと日本の違いを聞かれた時にはいつも困ります。

 ただ、「大学における最も大きな違いは何か」と問われれば、それは知識に対する態度の違いだと思います。日本の大学・大学院にはかなりの年数いたのですが、クラスで重点が置かれていたのは、知識の吸収でした。知識は本や授業で与えられ、議論によって吸収するものでした。いかに知識を“正しく”理解するかがポイントだったわけです。どの程度“正しく”理解していたかは今でも疑問ですが、ほとんど知識と呼べるものを知らなかった僕にとっては、とても有益でした。これに対して、アメリカの大学・大学院での授業で重きが置かれているのは、知識の創造です。クラスでの議論のでは、論文や本の主張の理解というよりも、そこからどのように新しい知識が生み出せるのかということに焦点があてられています。クラスは知識を生み出す場なのです。



 「クラスは知識を生み出す場」という考え方は次の4つの点に良く現れています。第1点は、リーディング・アサインメントの量です。日本の大学院でも相当読まされたと思っていましたが、アメリカのアサインメントの量は明らかにそれ以上でした。この背後には、「リーディングは1人でできるもの。基礎的な知識の吸収は自分で。クラスでは知識の創造を。」という考え方があります。サボればすぐにバレます。アウトプットを出すためには、インプットは必要ですから。ただ、たくさん読まなくてはならないですが、知識を生み出すことを目的に読む本は、たんに知識を吸収することを目的にして読む本よりも、格段に楽しいです。ちょっと多すぎる気もしますが。おかげで、アサインメントの自転車操業です。

2点は、授業への貢献です。授業に参加する全ての人(先生も学生も)は、授業に対する貢献を求められます。もちろん、授業は知識を生み出す場なわけです。つまりクラスは先生から一方的に知識を与える場ではなく、みんなで新しい知識を生み出そうとする場なのです。知識を生み出すプロセスに参加せずに(知識の創造に貢献せずに)、出席だけして知識を与えてもらおうという態度は、貢献ゼロのフリーライドになるわけです。クラスでは、学生は良い質問をすることを求められます。質の良い疑問は新しい知識の源泉なのです。

3点は、学生の意見に対する寛容さです。クラスではアサインメントされた本・論文をもとに、いかに自分の頭で新しいものを考え出すかがポイントなのです。このため、 オリジナリティあふれる勘違いをしたり、独創的に間違った論理を導き出したりもします。ただ、それによって評価が下がることはないのです。ようは自分の頭でどのくらい考えているかどうかが勝負なのです。僕も驚くべき独創性を持ってオリジナリティあふれる勘違いをよくしています。

4点は、サポートのシステムです。大学院の授業は大体少人数ですが、学部の授業やMBAなどの大人数の授業には、かならずディスカッションセッションがカップリングされています。これは、大人数のクラスを少人数に分け、ディスカッションをするというものです。大人数の授業でも教えっぱなしということは決していないのです。TA(ティーチング・アシスタント)によるディスカッションによって、理解を深めると同時に、先生・学生の創発によって知識を生み出そうという考えがシステムとしてあるのです。

もちろん、日米どちらの方が優れているということは一概には言えません。一長一短があるでしょう。それに大学や先生によっても違いはあるでしょう。ただ、僕の経験の範囲内では、この知識への態度の違いは確かにあります。当たって砕ける価値のある場は用意されています。




式会社アイ・イーシー  東京都千代田区飯田橋4-4-15
All Rights Reserved by IEC
本サイトのコンテンツの無断転載を禁止します。