「ワシントンで大切なことは、何ができるかではなく、誰を知っているかだ (What’s important in Washington is not what you can do, but whom you know.)。」数年前、ワシントンDC郊外に住む知人が自慢げに話してくれた。

米国、特にワシントンDCは、人脈(コネ)の社会だと言われる。どんな友人を持つか、どれだけ幅広いネットワークを持つかで、その人の価値が決まる側面を持つ。 日本で「コネ」といえば何かしらネガティブなイメージもあるが、アメリカでは“持つべきもの”、“大事にすべきもの”、そして“利用すべきもの”とされているようだ。実力社会の国とはいうものの、コネの力は無視出来ない。となれば、人脈作りを目的とした種々のイベント(Networking Events)や各種セミナー、シンクタンクでの講演等、とにかく人が集まるような機会には積極的に参加し、自分のネットワークを構

築していくしかない。さらに自社あるいは自宅でパーティーを催し、自ら人脈作りを演出できるのであれば、その効果は一層増すだろう。
ところが、である。いざ人脈作りを実行に移そうとすると、目にみえない「異文化の壁」に突然ぶつかることがある。「昼食の席でアメリカ人と隣同士になると会話に困ります」と、ワシントンDCに2年余り駐在した大手メーカーの日本人ビジネスマンが嘆いていた。 英語がうまく話せない、よく聞き取れないことから気後れし、その場の対応に戸惑ってしまうのだ。ビジネスランチだけではない。 立食パーティーの場でも片隅で一人静かにしている日本人を時々見かける。いずれも「異文化の壁」を思わせるシーンだ。何とかこの壁を乗り越えなくては、折角の人脈作りのチャンスも単なるチャンスで終わってしまうが・・・・・・ さて、どうしたものか。

思えば、私が最初に「異文化の壁」にぶつかったのは、1979年の夏、シベリア鉄道でロシアを横断した時だ。列車で一緒になったロシア人とは、ロシア語会話の本を片手にごく限られた会話しかできなかったが、コミュニケーションはそれなりに成り立ち、思い出深い旅となった。 それから25年、私は地球上の様々な場所で様々な人に出会い、良くも悪くも様々な「文化の壁」に突き当たった。そうした体験の中で、日本人が外国人として生きていくことの難しさや楽しさを実感すると共に、「異文化の壁」と自分が常に持ち歩いている「日本人の壁」とが、実は表裏一体であり、「異文化の壁」を理解し乗り越えることは、まさに「日本人の壁」を理解し乗り越えることであるということに気付いた。また、この壁を挟んで共存する二つの世界に表面的な相違はあっても、そこで生活を営んでいるのは同じ人間であるという基本的認識を持つことで、相互理解、壁の乗り越えがし易くなるということも学んだ。

私が住む首都ワシントン周辺には、異なった文化背景を持つ多くの人々が様々な仕事をしながら生活している。シンガポールからのビジネスマン、ロシア出身の起業家、キューバで生まれ育ったコンサルタント、インド出身の大学教授、等々。もちろん、親の文化遺産を多少なりとも引き継いでいる数多くの二世、三世の米国人もいる。

これらの人々は、日々、各々の「文化の壁」をまといながら、自らのアメリカンドリームを実現すべくエネルギッシュに動き回っている。 こうした日常生活の中で作り出されるダイナミックな多文化社会は、民主的な、平和な、成熟した顔と共に、傲慢な、危険な、未熟な顔も併せ持ち、そこの住民は、内在する矛盾や摩擦が生み出す諸問題と、時には自らの生存をかけて格闘することになる。 自分の文化の壁の中に一人閉じこもっていてはとても生きて行けるようなところではない。

だとしたら、自分の壁を脱ぎ捨てるなり、相手の壁にぶつけるなりして、積極的に自分の領域を確保し広げていくしかない。人脈、ネットワーク作りだ。これが出来るかどうかで、米国の生活は、楽しくもなるし苦痛にもなる。


米国とはそういうところだ。
Copyright by Atsushi Yuzawa 2004

このコラムでは、米国――途方もなく凄い、でも途方もなく酷い多文化国家――で、今日何が起きているのか、何が起きようとしているのか等、「最近の米国事情」なるものを私の経験を踏まえ、いろいろな視点からレポートできればと思います。



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