ケンタッキー州の青年が首都ワシントンを訪れた時のことだ。見知らぬ女性がたまたまビルの入り口に近づいてきたため、ドアを開けてあげた。南部紳士 (Southern Gentleman) としては、ごく当たり前のことをしたつもりだったが、お礼を言われるどころか、変な目で見られたという。今はワシントンの連邦政府機関で法律関係の仕事に携わっている彼が、数年前思いがけなく味わった「カルチャーショック」だったと話してくれた。

どうやら米国では「レディー ファースト」というのはもう古い考え方らしい。良くも悪くも、女性を特別扱いする風潮は昨今の米国社会、少なくとも大都市においては、あまり見られない。女性も単に女性というだけで特別扱いされることを嫌う。「男女平等」が言われて久しいが、周りを見る限りどうも口先だけではなさそうだ。政府機関も民間企業も女性に対して男性と同等の雇用・昇進機会を提供すべく努力しているように見える。

2000年発行の「ハーバード ビジネス レビュー」誌には、米国の大手コンサルタント会社での女性雇用問題がケーススタディーとして掲載された。女性社員の離職率の高さを憂慮したCEO(最高経営責任者)が先頭に立って職場環境改善に取り組んだ話だ。女性社員のためにすべき事は全てしたと考えていたトップマネージメントはまず徹底した社内調査を行い、女性社員の昇進の妨げとなっていた男性中心の企業文化が高離職率の原因であることを突き止めた。そして5000人に上るマネージャーに2日間に渡る研修参加を強いる等、諸々の改善策を着実に実行。その結果、離職率で男女間の差はほとんど無くなり、管理職に就く女性の数も上位五社中トップにランクされるまでになった。馬鹿にならない時間とコストを伴う一大社内プロジェクトとなったが、その後の会社の業績向上に大いに役立ったという成功話だ。

こうした話が経営者を対象とした米国の代表的雑誌に取り上げられたこと自体、多くの米国企業がまだ女性社員の能力をフル活用できていない証でもあろう。しかし、日本企業に比べたら随分先を走っているように見えるし、この差がゆくゆく日米企業の競争力の差として表面化してくるような気もする。

米国では今日、女性があらゆる分野に進出している。弁護士、医師、大学教授、ジャーナリスト等の専門職ばかりでなく、企業の管理職に就いて活躍している女性も多い。しかも、こちらで生活していると、そうした女性の存在に驚きもしなければ違和感を感じることもない。

考えてみれば、当然のことだ。女性だから男性より劣っているということはない訳で、機会さえあれば女性が男性以上の力を発揮しても決して不思議ではない。

問題は、そうした機会が民間企業をはじめ、諸々の組織・団体に存在しているかだ。もし存在しないとすれば、どうやって作り出していくかだ。

「職場の多様化 (Diversity at the Workplace)」というのは米国企業にとって今日でも大きな課題だ。しかし、試行錯誤しながらも、時間をかけて地道な努力をしてきている。上記のコンサルタント会社はその良い例だ。そして、こうした努力が米国企業を魅力あるものにし、優秀な人材を引き寄せる一要因にもなっていると思う。

私が以前勤めていた米系多国籍企業においても、性はもちろん年齢や人種による差別は、私が知っていり限り存在しなかった。昇給は本人のパフォーマンス次第。採用や昇進も本人のやる気と資質の問題であって、日本人だから、女性だから管理職に就けないということは無かった。お陰で、有能な女性社員が数多く入社し、マネージャーとなって活躍した女性も少なくなかった。チャレンジ精神を持つ日本人女性にとっても働き甲斐のある職場だったと思うし、世界戦略上、日本を重視していた同企業にとっても、こうした女性社員は貴重な戦力となった。

果たして、日本企業はどうだろう。外国企業の日本進出と日本企業の海外進出が続く一方で、今後は日本人労働人口の縮小と労働市場の流動化が一層進みそうだ。将来を見越した人材確保のための受け皿作りは着実に進んでいるのだろうか。



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