交通事故で加害者が被害者に謝るのはごく自然のことだと思う。ところが警察が到着するなり、それまで被害者に謝っていた加害者が被害者の責任を追及し始めたという。何年か前に聞いた話だが、自分の過ちを過ちとして認めることを拒む米国社会の一面を物語るエピソードとしてときどき思い出す。

米国人曰く「謝ることは自分の弱さをさらけだすこと」という意識が米国社会にはあるらしい。だから、謝るということに米国人は慎重だ。

米国の労働省で働く弁護士が先日笑い話として、“A mistake has been made.” という表現はよく耳にするが “I made a mistake.” はほとんど聞かないと言っていた。「私が間違えました」ではなく、「間違いが起きました」という言い方をすることで間違いの事実だけを認め、間違いを犯した当人への言及を避ける言い回しだ。

元米議会職員も政治家のもどかしい「謝り方」には飽き飽きすると不満顔で話してくれた。 “I’m sorry” とはいうものの、常にその後に “if ….” が続くというのだ。例えば “I’m sorry if I upset you. (もし私のしたことで気分を悪くされたのであれば、ごめんなさい。)”とか “I’m sorry if I inconvenienced you. (私がご不便をおかけしたのであれば、ごめんなさい。)” という言い方はよくするが、”I’m sorry but I made a mistake. (ごめんなさい。私が間違っていました。) ” と自分の非を率直に認める言い方はしないという。

だから、2004年3月、米国のテロ政策を担当していた元大統領特別補佐官リチャード=クラーク氏が9.11同時テロ事件調査委員会の公聴会で行った証言には驚いた。 “…your government failed you … and I failed you” と、米政府と自分が同テロ事件を防げなかった失敗を認め、被害者の家族に許しを求めたのだ。

これには米国人も驚いたらしく、マスメディアやウェブ上で彼の発言をめぐって様々な意見が飛び交った。その中で私の目に留まった一文に、あるブロッガーの “Real men don’t apologize, for anything….” というのがある。米国人が男らしさについて話すときに使われる表現で、「男たるもの、何が起きようと謝罪はせぬ」というわけだ。男は常に強くなければならず、「弱さ」と映る「謝罪」など決してしてはならないということだろう。皮肉を込めて使われることも多いようだが、ジョン=ウェインを彷彿とさせ、米国人の心髄を垣間見る思いがする。

しかし、「謝罪」に対するこうした考え方には不自然さを感じざるを得ない。自分の過ちを過ちと認めて謝罪することは、そんなに弱いことなのか。逆に、自分の過ちを過ちと認めず謝罪しないことが、そんなに強いことなのか。不思議なことに、この不自然さを自然に受け入れているのが米国社会だ。争いごとが多発し、訴訟が多いというのもこの辺に一因があるような気がする。

自らの過ちに対し「私が悪かった」と自然に言えるような社会になれば、米国はもっと住みやすくなると思う。他国の尊敬も受けやすくなるだろう。「世界最強」を誇る米国人にとっては、勇気が要ることなのかもしれないが。

Copyright by Atsushi Yuzawa 2005


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