ある美術の先生が彼女のクラスのちょっとした試みをラジオ番組で語っていた。静物デッサンがなかなかうまくできない生徒に対象を逆さまにして描かせたところ、よくできたというのだ。

日頃見慣れたものを描く際、既成概念にとらわれて対象物体をあるがままに描けない。でも、その物体を逆にしてみせることで既成概念を取り除き、物体そのものに近づけるということだろうと思う。つまり、物事を理解するための知識が、実は個々の事物をとらえる上で障害になっているというわけだ。

日常私は、過去の経験と知識をもとに物事を認識し判断を下している。いわば「経験と知識」という眼鏡をかけて世の中をのぞいているわけだが、残念ながら、この眼鏡は完璧ではない。この眼鏡をかけたからといって物事全体の認識が正確にできるわけではないのだ。ところが、普段そんなことは考えない。自分の眼鏡越しに見える世界を信じて疑わないから、毎日安心して生活できる。

ただここで問題なのは、皆異なる眼鏡をかけ異なる世界観を持っているにもかかわらず、自分の眼鏡から見た世界が他人にも見えていると錯覚しがちなことだ。たとえ自分の世界観が他人のものとは異なると認めたとしても、正しいのは自分のだと信じ、ひどい場合には、それを他人に強要しようとさえする。

2001年の9.11テロ事件とその後の各国の対応は、異なる状況に置かれている人々の世界観の違いを浮き彫りにした。
この事件の報道で、中立姿勢を保とうとするある通信社が「テロリスト」という言葉の使い方に慎重になったのも、もっともなことだ。ある人にとっての「テロリスト」も、他の人にとっては「フリーダム・ファイター」あるいは「英雄」として見られるわけだから。

あの事件から5年が過ぎたが、米国主導の「テロ戦争」は全く終わる気配がない。その最大の原因は、「敵」がよく見えていないということではないか。いや、自分の世界の中に閉じこもり、そこからしか相手を見ようしないため、自分にとって都合のよい既成概念、つまり偏見が独り歩きしているのだ。そうした自己中心的で、排他的で、狂信的なアプローチがどういう結果をもたらすかは、存在しなかった大量破壊兵器を理由に始まったイラク戦争や連日の自爆テロを見れば明らかだ。

諸悪の根源であるこの偏見を何とか取り除き、物事をあるがままに見たいと思う。そのためには、自分の眼鏡の限界を認め、自分の世界から一旦外に飛び出すことが必要なのかもしれない。

年が明け、2006年が始まった。今年は、あの美術の先生の言葉を思い出しながら、物事を逆さまに見る年にしようかと思う。もしかしたら、いままで丸く見えていたものが四角に見えるかもしれない。いや待てよ、丸いものは逆さましてもやはり丸いはずではないか。いや待て待て。同じ地球儀も、逆さまにすれば、日本は南半球だ。「・・・のはず」と思うのは、やはり既成概念にとらわれているからだろう。逆さまに見るというのも、そう簡単なことではないらしい。

Copyright by Atsushi Yuzawa 2006


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